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読書感想文【火車】

1992年(平成4年) 宮部みゆき著
第6回山本周五郎賞 受賞作品

古本屋で購入した文庫本で読んだが、分量がすごい。そして字が小さい。開いてみて「えっ、この文字の大きさでこの厚みなのか…」と当初面食らった。この一冊前に読んだ本がさほどの長編でもなかった為、ギャップがすごかった。
しかし読み終えたあとはしっかりとした読了感があるのみ、ただ面白かったという感想があるばかりである。やっぱ宮部みゆきはすげぇなぁ!という思いだ。

初めて読んだ宮部みゆき作品は『レベル7』であった。これがとても面白くそれから一時ハマって読んでいたが、ここのところずっとご無沙汰だった。ブランクがあり、更にこの分量に少し及び腰だったのだが、すぐに全くの杞憂だと分かった。
色々と幅広く読んできたつもりだが、やはり大御所は大御所。間違いのない安定感がある。
く、悔しい…でも面白い、読んじゃう…!

舞台は1992年。つまり今2023年から30年も前の作品である。興味が湧いて少しだけこの頃のことを調べてみた。
昭和から平成と元号が改まった頃、記憶はおぼろげだが記録をさらってみれば、ああ、そう言えばそんなこともあったかなぁと思う。
パパ・ブッシュが大統領に就任し、手塚治虫や美空ひばりが亡くなり、消費税(3%!)がスタートし、天安門事件が起こった。東西ドイツ統一、スーファミ発売、日本人が初めて宇宙に行き、湾岸戦争が始まる。そうか、雲仙普賢岳が噴火したのは平成3年だったのか…。
そして平成4年の流行語には、『カード破産』が選ばれている。

この作品のテーマもまた、カード破産である。この時代においてはタイムリーな題材だったわけだ。
作中で債務整理に取り組む弁護士がクレジットカード、信用取引について特に詳しい説明をしてくれるなかで、学校教育の中でこそクレジット社会に乗り出すための基礎知識を教えるべきだと熱く語る。
振り返って自分は今の今まで、それらしい知識を例えば義務教育中に受けたことがあっただろうか。あるいは自分より年下の子どもたちはどうだろうか。
これが30年前のフィクションのセリフであり、「今」を見直すと恐ろしくなる。カード破産は今でも全く、遠い世界のフィクションではない。

題材も勿論だが、やはり宮部みゆき作品の面白さはそのリアルさ、場面の緻密さにあると思う。
特にすごいと思ったのが、都会に出たは良いが思い描いていた生活が送れていない女性が、田舎に暮らす同性の幼馴染に電話でさぐりをいれる、つまりマウントを取る場面である。
マウンティング、という言葉が広く今の意味で使われだしたのはいつのことだっただろうか。少なくとも平成一桁の時代でないことは間違いない。
『負け犬の遠吠え』(酒井順子著)が発表されたのが2003年、つまり平成15年。それ以降、30代超独身女性の反撃の狼煙が高らかに上がったように思うが、それ以前にも間違いなく独身女性に対する圧力や、同性同士のマウンティングはあっただろう。
現象に一度名前がつけば、それを表現するのは容易い。すごいのはまだ言葉になっていない、しかし確実に存在するそれを的確に捉えて表す力である。
宮部みゆきという作家の観察力、表現力の凄さを改めて認識した。

主人公、本間は現職の刑事だが怪我をして休職中。そして発端は親戚の男(妻の従兄の子供)から持ち込まれた、消えた婚約者を探してほしい、という相談。
国家権力お墨付きの印籠=警察手帳なしでも、行く先々で割と容易に情報が収集出来る過程には流石に時代の古さを感じるが、個人情報保護などが騒がれるのはもう少し先の話なので無理もないだろう。

本間が追う人物は事件の真犯人と思しき人物だが、死体だとか血痕だとか、事件らしい決定的な証拠は何一つ出てこない。しかしそうと示す状況証拠は山と積み上げられる。本間たちが自らの足を使って集めた証拠である。
そして追い求めた真犯人は、ラストシーンで最後にとうとうその姿をわずかに拝んで、幕引き。
この流れも実にその後の想像力を掻き立てられて面白い。
三十にもならない一人の女性が、たった一人で他人とそっくり入れ替わるという所業をやり通す執念。彼女にそこまでさせるに至った苦難や絶望は様々な視点から語られるが、彼女自身が何かを語ることは作中、一度もない。
思い切った構成であり、実に成功していると思う。
ようやっと追いついた彼女に、一体どんな言葉で本間は話しかけ、彼女はなんと答えるのであろうか。

ン年ぶりに読んだ宮部みゆき作品、やはり期待を裏切ることない面白さであった。今度は最新作あたりを読みたい。

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