見出し画像

読書感想文【愛なき世界】

何かに突き進む人を書かせると三浦しをんは随一だなぁと思う。
『舟を編む』『風が強く吹いている』、それから『仏果を得ず』など、登場人物はみな一つの物事に人生を賭して挑んでいる。その姿をカッコいい、と思うと同時に、あまりに真に迫っていてもし自分の身内にこんな人がいたとしたら付き合いきれないなとも思う(笑

それくらい本作の主人公、本村紗英は植物、シロイヌナズナに入れ込んでいる。入れ込み具合は尋常ではない。大体において研究職の人というのはそういうものだろうと想像はするが、一から十まで植物のことである。寝ても覚めても、生活のありとあらゆる場面でその事を考えている。
生真面目で律儀な性格も研究職向きなのだろう。
小さな小さなシロイヌナズナを交配させ、種を取り、植え付け育てる。その数1200粒ほど…。気が遠くなる。作中で本村も白目をむいたり、おかしくなって「ふっふっふっ」と一人声を出して笑ったり、そうした様子がコミカルに描かれていて可愛らしい。
博士号をかけた研究に初歩的かつ致命的なミスが見つかったときの描写もまた真に迫っている。
あの「やらかした…!」という、頭の天辺から血の気が引いていく感覚。誰もが一度は味わったことがあるだろう。報告も相談もしなければいけないと分かっていながらあまりの事の重大さに何も出来ず、ただただ時間を浪費してしまう、あの感覚。思わず「分かる…」と内心頷いた。

植物学の研究については、残念ながらちょっと難しかった。
もうひとりの主人公と言うべき、藤丸陽太。彼は我々と同じく一般人枠である。彼に対し本村たちが懇切丁寧に研究内容や手順を説明してくれるのだが、やはり目が滑る。これは『生物と無生物のあいだ』を読んだ時と同じだ。あんまり興味がないこと、事前知識がないこと、というのはどうしても頭に入ってこない。ただそれ故、文系である作者がこの作品を書き上げた事に尊敬の念を禁じえない。
門外漢が書いたものであっても決して的はずれだったり突拍子もない話ではないということは、本作で作家としては初めて日本植物学会賞特別賞を受賞したことが裏付けているのだろう。

(余談だが、『生物と無生物のあいだ』でも感じた研究者の熱意やあるある話など通じるものもあり、自分では身にならなかったと思ったことも決してそうとは言い切れないのだなと思った)

冒頭部分は藤丸青年視点であり、のっけから彼の一目惚れ、そして失恋が怒涛の勢いで語られる。しかしその後の物語は終始、本村の植物への熱意が語られ、藤丸青年の恋心は隠し味程度にしか挟まれない。そして最後まで、彼の恋心は彼の望む形では報われない。
じゃあ最初から本村視点で書けば良いのでは?とも思ったけれど、文中における藤丸の役割、研究者だらけの研究所において全くの素人視点をもたらす、というキャラクターを考えるとこれは必要だったのだなと思う。その辺りは流石、という感じである。

いつもは持ち運びのしやすい文庫本なのだが、今回は珍しくハードカバーで読んだ。確かに出先で読んだりするには向いていないが、装飾が美しい、ハードカバーならではの良い体裁だった。
愛なき世界をこれ以上ない愛情でもって見つめる研究者の視線は、きっとこんな感じではないだろうか。
身近な植物を見直すきっかけになりそうな、良い一冊。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?