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乳香のかほり

(オマーン旅行記2)

この時期のオマーンは暑いと聞いてはいたが想像以上で、高い湿度のせいで吹き出る汗が、背負っていた鞄にまで広がっていた。

予約もせず、行き当たりばったりで向かった宿は海沿いで、中心街からはやや外れた位置にあった。空港からタクシーは使わず乗り合いバスで中心地まで向かい、乗り換えて宿の近くまでやってきた。

土曜の夜、ラマダンも明け平穏を取り戻したマスカットの街は意外なほど静かだったが、スーク(市場)へ近づくにつれ活気を帯びてきた。見渡す限り、足まである長い民族衣装に身を包む男女ばかりで、異国人・観光客も、空港を出て以来目にしていない。足を踏み出すにつれ、ここがオマーン=異国の地、自分=異邦人であるという実感が増していた。

スークにはさすが多くの人が行き交う。アラブ意匠の門をくぐり、天井にステンドグラスが施されシャンデリアが下がるアーケード街へ足を踏み入れるや、嗅いだことのない甘い香りに包まれた。そこかしこにある商店の前に置かれた香炉からは焚かれた煙が勢いよく上がっていて、ステンドグラスから落ちる明かりを複雑に反射させていた。

これが、噂に聞いた乳香の薫りだった。幼い頃に夢見たアラビアンナイトの世界は、いい匂いがした。

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オマーンの南地方、サラーラ周辺を名産地とする乳香は、古来この地域に親しまれてきた香料だ。

「乳香の木」の幹に傷をつけ、滲み出る樹脂が固まったもので、大きさは小石程度。緑がかった乳白色が名称の由来で、現地語のオリバナム(Olibanum)も「乳=Laban」が派生してできた言葉だという。英語ではフランキンセンス(Frankinsence)と呼ばれ、これは「真正なる香り」という意味になるのだそうだ。

エジプトの王の埋葬品から出土したり、キリスト生誕時に捧げられた贈り物としての記述も新約聖書(マタイによる福音書2章)にあるように、いわゆる西洋文明にとっても縁深いもので神聖性の象徴として貴重に扱われているだけでなく、その薬効性から中医薬・漢方薬として活用され、日本にも平安時代には伝来していたとのこと。

中世以降は蒸留して精油した香水としての利用が多いという。このように需要が増すに従い宗教的価値は下がり、大衆化。近年では枯渇の危険も叫ばれている。そうして今、こうして土産物として持ち帰るに至る。

帰宅するなり、スークで合わせて求めた香炉に載せ、火をつけ焚いた。
勢いよく上がる煙と共にあっという間に部屋に満ちた香りの中でひとり、まだ醒めきらぬアラビアンナイトの夢の余韻に浸った。

【乳香の効能】
芳香はリラクゼーションが主。
香として焚くだけでなく、ガムのように噛むのも一般的とされる。
漢方の世界では鎮痛、止血、筋肉の攣縮攣急の緩和などの用途とのこと。