映画 聲の形
こんばんは、ゆえんです。
皆さんアニメ映画【聲の形】は観たことがありますでしょうか?
聴覚障がい、自殺企図や未遂、いじめや不登校などの要素を盛り沢山詰め込んだ作品です。
まず大前提として。
障がいのある子が支援学級ではなく通常学級、自分のクラスで過ごしてたらどう感じますか?
近年、発達障害でも支援学級や通常指導教室に属することもあるみたいです。
答えは人それぞれ。
私の小学校時代を振り返ると、そこそこやらかしてましたが、通常学級の範囲だったのかなと思いますが、当人がどう思うかにもよりますよね。指導教室の場合は保護者が決めることになりそうです。
映画の話に戻ります。
一度観た時に苦手だと感じた【聲の形】
再び観てみました。
…やっぱり苦手だ!!
だけど少し、見方は変わりました。
・担任の恫喝まがいは大いに問題ありだが、大人だろうが教師だろうが、1人に出来る限界はある
・西宮母の子どもへの接し方も同じく理由がある。ひとり親だし、障害のない家庭よりも強く育てようとしたのかな
変わらず苦手なシーンの感想は、
・橋のところでの将也の言葉は、周りからかなり責められる部分でしたが、植野や川井への言葉は別に責められることではないように思います。
いじめをした将也が100%悪いですし、言い方は柔らかくても良かったのかなとは思うけど、周りから責められるほどのことか…?
いじめの代償というものが仮にあったとしても、将也に降りかかったその代償はあまりにも大きかった。
全てのいじめの責任を背負うことになった将也の言い分くらい言ってもいいのになぁ…。
お母さんが良い人でよかったよね……
もうひとつ。
後半で仲間たちなりにそれぞれ理由が色々あって変化しただろう心境ですが、もやっとを残したのが川井の言葉。
引用が難しそうなのでさらっと書きますが、『誰だって生きていれば〜前に進んでいく』あたりの言葉です。詳しくはぐぐって!
この言葉、自殺未遂前後に言われたいですか?
私は言われたくない。
私も何度も希死念慮や自殺企図を考えたことがありますが、『誰だって生きていれば』なんてこと、希死念慮がない時だって言われたくないです。
そんなこと言われても知らんよ
生きてたらみんな辛いだろうことくらい分かってんの!!
私は辛いし、みんな辛いし、目の前に私より辛いだろう人がいても私は辛いんだよ!!!
…と思うわけです。
前に進まなきゃいけないことくらい分かるけれど、進みたくない時だってあるし、それを強いられるのは苦しい。
結局そういうのって周りから言われるんじゃなくて、映画やアニメやSNSをふと見てた時にふいに「頑張ろうかな」と感じるものだと思います。
あくまで個人的な感想ですし、好きな作品だと思ってる人のことをわざわざ否定したい訳ではないのですが、川井の言葉だけは受け入れられない世の中であったらいいなぁ…。
自殺はどちらかと言えば良くないもので、私は無責任に世の中の誰にも自殺を選んでほしくはないと思いますが、死ぬ自由を邪魔したくはないです。
それでも生きていて欲しいと思うよ!!
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