悲劇まで無かった耳の話

人魚に耳はない。しかし、目はある。ところが、『耳目』という単語は彼らの言葉にもある。聞くこと見ることは同じものとされてある。

多くの注目を集める。世間の耳目(じもく)を集める。

ある人魚の目となって仕事を助けること。それを行うこと。彼女の耳目(じもく)になって働く。

このように、人魚たちは、耳がないのに『耳目』の単語を定義付けする。彼女たちは海棲生物で、耳などなく、鼓膜もないというのに。

というのも、とあるとき、王国のお姫さまが魔女に頼んで自分を人間になどさせてしまったからだ。人間の王子に恋をしたという。人間の王子のあとを追い、声帯を失ってまで追いかけて、彼女には『耳』がそのとき、できていた。
人魚たちにすると、それは姫さまとの最後の交信手段だった。人魚達はこのようにして『耳』の存在を知った。

人魚たちが語りかける言葉は、イルカたちのような音波であるが、このときばかりは海中をでて波のはざまに頭を出し、肉声を語った。人魚のお姫さまに戻ってくるようにと『声』で説得した。彼女は『聞いて』いた。
それでも彼女は戻ってこなかった。
王子を刺し殺せばもとにもどれると聞いても、刺し殺さずに、自分が泡となって消えるほうを選んだ。

悲劇として、人魚たちの記録に残された。『耳』の記録とともに。そして悲劇を境目にして、人魚たちは、人間たちの『耳』に気をつけるようになった。
「その人間、耳がある。破れちまうよ。海底に持って行くのはおやめ」
「耳があるから、そこから水が入るのよ」
「人間には、耳目があって、そこが海水に弱いのよ」

それまで人魚たちはセイレーンなどと呼ばれて、船乗りたちに恐れられてきた。
ところが、今では人魚たちは、人間に親切になって彼らの生態に興味をもつようになった。セイレーンなどとは呼ばれなくなって、人魚たちが気づいたとき、人間たちは、ジュゴンなどをセイレーンと見間違えたのだろうと勝手に勘違いして人魚の恐怖なんてものはなかったことにしていた。それでもかまわないわ、と人魚の大多数が思い、彼女らはさらなる海底へと進み、そちらに棲み分けるようになった。

すべては、人魚姫の悲劇にはじまる。
けれど、そのようにして平和は為された。

深海生物にまぎれて真っ暗な常闇に棲みながら、今日も彼女らは、耳目(じもく)に触れておくと好いわ、あなたの耳目(じもく)になってあげましょう、なんて言って面白い形の貝殻などを交換したり、新米人魚に道案内などしたり、ささやかで愉快な毎日を過ごしている。人魚姫の悲劇からもう数百年も経ったが、『耳』『耳目』の単語は残った。
案外とそんなふうに、言葉は文化となるのかもしれない。



END.

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