ロッククライミング(人魚)
人魚姫はなぜだかロッククライミングをするハメに陥っていた。
たまさか、穴があるから入ってみたら、水流が強すぎて押し流されるハメになった。そのせいだ。こんな目に遭うとは。
想定外がすぎる。岩にかじりつきながら、手で石を一個ずつ捕まえながら、よじのぼる。よじのぼる。こんなはずでは……!!
後悔しても、けれどもあどうしようもなかった。この穴から這い上がるためには、爪が剥がれようが、汗だくになって醜くなろうが、ウロコをぼろぼろ落とそうが、どんな惨めな姿を晒そうが、やるしかない。
登るしか。
せめて、穴から出る。
ほかの皆がふつうに過ごしている、あの空間に戻るためには。
こんな深い泥沼の穴に落ちていき、付き合うハメになってしまったが、一時は穴の底でいじけてしまって「もういい。ここに住む」なんて思いもしたが、やっぱりそれは、イヤだった。私は穴の外に出たいのだ。
だから、ロッククライミングだ。
きっと穴から出たら、かつての知り合いや、周りの者たちは驚くだろう。
「あなた、なにしてたの?」
「なんでそんなことになってるの?」
でも、そんな一言すら、貴重だ。そんな一声をかけてもらえるだけで救われる。
そのためだけに、彼女はロッククライミングを続けていた。登り続けて、もう10年はとっくに過ぎた。とっくに時間はこの一匹を置き去りにしている。
それでも、その人魚は、どうしても外に出ようと決めて、爪を剥がしながら、血を流しながら、這い上がりつづけている。
体感として。外に出るまで、あとすこし、あとすこし。
皆の日常の声がやっと聞こえてきた。
あとすこし!
END.
読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。