8つ、変幻自在の齢のヒトはヨメ入りする

8つになったら迎えに来よう。

アカリがまだ5歳のとき、すでに20歳は超えていただろう美丈夫が誘惑した。彼は言った。あなたの瞳は黒真珠のようだ、うつくしい。あなたの心は純白の真珠ですがね。

意味はまったくわからないが、アカリは、ぽーっとしてしまい、その日は一日幸せだった記憶がある。世のすべてに祝福された気がして、怖いものなど感じなかった。

ところが、8歳になった翌日、例の美しい男が公園に現れたとき、アカリは痩身がふるいたち毛が逆立つのを感じた。心臓の呼吸がうるさくて、耳の裏側に音が貼りついた。

それまで公園にいた友達もママも姿が見えなくなった。

そういえば。5歳のとき、もう2人きりで会っていた。なぜだろう。8つになったアカリに、空が語りかけるようにして、ふしぎな文様の着物を着た男が告げる。

「8つのヒトの子は変性ができる。8つは無限を表す言魂を手に入れました。人間社会ができてから、我らは消えたと同時に、ヒトに馴染んで生きてきたんですよ。やりくちは怪によって違いますがね」

「お兄さん、は、な、に?」

「約束を果たしに来た。8つまで待って、変性できるのを待っていたんです」

意味は、わからないが、今生の別れがたくさんあることだけは理解できた。この世のものとは思えない美青年はアカリの頭をなでる。なにやら、知らない言語で知らない発音で知らないものを唱えた。

ミズが、急激に全身に欲しくなった。砂漠でいつの間にか乾いていたみたいに。水。水。混乱して目をまわし、アカリがその場にうずくまる。怪奇なる青年がかるがるとアカリを抱き上げて、ひとけのない公園を出ていった。アカリから漏れた水滴が、ぽた、と間隔を置いて垂れ落ちた。

8つまでは誰にも無限の可能性があった。アカリは人魚になった。下半身の感覚が消えて自分の足がわからない。人魚がアカリの体下はんぶんになった。なぁに、だいじょうぶ、とアカリが好きだったはずの怪異が脳天気な声でアカリを慰める。

「9つになれば無限の期間は終わる。そえしたら、恐怖もなにも感じなくなりますよ」

アカリはまだほんの子どもだ。

けれど、絵本が好きだった。キツネの嫁入りだとか3匹の子ぶたを思い出した。自分よりずっと強いものは、弱いものの棲家を破壊できるし、嫁をもらうこともできる。ああ、きっとそうね、そういう話なのね。アカリなりに理解する。人魚になった体は渇き、海が恋しくて喉はカラカラだった。

アカリを攫った美しい男は、いつしか手にヒレがはって眼球が濁って魚のようになる。

シーマンの嫁探しはこうして行われる。人魚はこうして増える。繁殖する。

もちろん、怪異によって、方法は異なるが。

アカリが海にたどり着けば、嫁入りは最高潮のフィナーレだ。アカリはわからない。それでも、海に肩まで浸けられれば、それはもうアカリであってアカリではなくて。

ヒトのアカリは消えて、人魚のアカリがそこにいた。

アカリは8つから人魚になった。旦那様は、偉大なるシーマンにして、変化上手のやり手の妖怪であった。


END.

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