いっそ人魚姫の足ほどに

「川内、陸上やめたんだって? なんで?」

「速かったのにー! インターハイも確実だったんでしょ? 何も今やめることないじゃない」

「そこまでいったのに、勿体ないわよ」

たいして話してないクラスメイト、親しい友人、挙げ句の果てに教師まで川内撫子の退部届に文句を言った。川内撫子はうんざりして、いっそ、脚が無くなってしまうとか、松葉杖をつくとか、分かりやすい外傷であればよかったのにと悔やんだ。

急に、昨日できていたことができなくなる。川内撫子にすると陸上部を辞めた理由はそれにあたる。唐突に走ろうという意気が消え失せた。これは一体、どうしてだろう?

川内撫子だって知りたいが、もはや走る気はせずに歩くのがせいぜい。なんでだろう、川内撫子は放課後の帰宅生徒たちにまじりながら下校する傍ら、近所の河川敷に寄り道した。

河川敷にはいろんな生き方があった。

自主練習している運動部らしき小学生、サッカーボールだったり野球ボールだったりバトミントンだったり。犬を連れて歩くひと、犬連れて自転車に乗っているひと。散歩しているだけの夫婦。耳にイヤホン差してぶらぶらひとり歩きするひと。

空気と、匂いがざわめきたって、色んな生き方を報せてくる。川内撫子は母に「あんた、うつ病にでもかかったん?」と問われたのを思い出した。

川内撫子としては、クラスメイトも親友も教師も母も、皆、わかっていないと感ずる。ひとの心は秋の空ともいう、それが自分の実感に近かった。空模様が変わった感じなのだ。

あるいは、恋に冷めたとも。

ふと、顔を上げたら、今までバラ色の美しさと芳香を放っていたものが、萎れて枯れた土気色のカラカラ乾涸びたものになった。そう見えるようになってしまった。これは、心変わりだろう。川内撫子は、心変わりして陸上競技に興味を持てなくなってしまった。

母の言うような、病ではないと思う。

川内撫子は思う。私も俗っぽいやつだな、と。

俗っぽいから、飽きる。

飽きたのだ。もう、いいかなと。ただ移ろった心を誰かに説明するのは難しい。そう、例えば人魚姫の足みたいに、ひと目見てわかるほどの変化が肉体にあったなら、説明もしないで済む。

けれど、俗世ではそうもいかない。皆、理由を説明できずになにかを急に止めることだってあるだろう。だって人間なんだもの。


END.

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