永遠になった少女は夢のなか

永遠になりたい。

もしくは、生きる時間など、起こらなければよかった。
そうすればこの時間すら無い。

つまり、永遠だ。

姉の落ちぶれた姿をみて、響子は、はじめての感覚に戸惑った。
姉は、頭のおかしいひとだった。夢見がちで誰にでも恋をして体を与えて、愛を与えてそれらがすべて嘘で赤ん坊といっしょに家に出戻ってきても、

「でも、あのひとも事情がある。あたしはきちんと愛された、幸せな時間だったよ」

強がるふうもなく、当たり前の事実を告げるようにして言い放つ。

捨てられた女、出戻り、女の終わり、そんなふうな悪意に晒されて後ろ指を差されているのに、姉は子どもと外で遊んではいっしょに泥だらけになって帰ってくる。

響子も息子はいるから、姉のそんな姿はまるで子どものそれに見えた。長男は姉に困って姉を物置にすませている。物置から、きゃはきゃはと母子の笑い声がする。

実家が化け物屋敷と言われるのも時間の問題で、ほどなくそうなった。

響子は結婚して家を出ていたので半分は他人事だ。姉の出戻り、姉の境遇、姉の味わう感情、姉とたまに話すと、あの姉はあの調子ですべてを前向きに当たり前の一雨みたいに言うから、仲の良かった響子すらも気づかなかった。

気づいたころには、手遅れだ。

「アハ。アハ。きれいきれい」

姉は、ボロきれを素肌にまとって、腐りかけた両足を畳んで娘をあやしていた。
ノミとシラミだらけなのは一目でわかる。

黒い女の子は、響子にふりむいて、ただ目を細めてすべてを諦めきっていた。
長子が響子の肩に手を置いた。

「できるか? おまえの娘にしてやれ。名前は新しくつけてやってくれ。アイツの娘とは絶対に気づかれるなよ」

「……できますけど……」

生きることは、むずかしい。苦労がつきものだ。それでも、まだうちの旦那は余裕があるから、娘の一人は増えても平気だ。それは事実である。

生きることは、むずかしい。

遠い昔、まだ幼子だったころ、旅人から聞かされた話に姉妹ではしゃいだ。人魚の肉を食えば永遠に生きられるんだって。なら、なにも苦労も心配もしないし、楽しく毎日が生きられるんだろうね。そんな話を響子は思い出す。

姉の面影のある子を手で招くと、子は待っていたかのように響子の膝にしがみついた。

「アハ。アハ」

姉は、踊るように手をくねらせる。それだけである。

「よし。任せたぞ響子」

「……兄さん、あの、ねえさ、」

「言うな。今夜にはいなくなる。自分から子どもを連れてアイツは出ていったんだ。いたたまれなくて夜逃げしたんだ」

響子は、姉の娘を見下ろす。シラミが脂まみれの黒髪のあいだをうねって、白髪が光るみたいに見えた。
娘は膝にくっつき、もはや母親を見返すこともなく、母親である姉も、子どもを見つめることをしなかった。

「アハ……!」

きらきらした永遠が目の先にあるのか、姉は、埃だらけの光のなか、笑った。

翌日、それか翌々日か、手っ取り早く、親戚の『葵(アオイ)』ちゃんを響子は海へと連れ出した。そこで素っ裸の葵を隅々まで洗うことにした。

黒ずんだ肌が塩水に痛む様子はなかった。傷はないようで響子はホッとした。あの姉でも娘をいじめて折檻をすることはなかった。

それだけで、救われる思いがした。

「キモチいい、葵ちゃん?」

「……うん。おばさん」

「こらこら、お母さんってこれからは、響子おばさんのことを呼ぶって約束でしょ……、」

でしよ、と、言う傍らで響子は、両目を見開かせた。
後ろを通った若者たちが、なにやら肘で素っ裸の脇腹をこづきあい、話していた。それが風にのって聞こえてきた。

「足がねえんだから人魚に違いなかっただろ。これで俺らは死なんカラダになってるんだ」
「たんに人肉食っただけな気がすんわ。いるわけねぇ。それに、まずかった」
「人魚なんてマズいに決まってる。薬なんだからよぉ……」
「イヤだぞ、わし、試しに死んでみるのは……」
「やってみねぇと人魚を食ったかどうかわかんねぇじゃねぇか……」

「……響子……おばさん……。……響子……おかあさん……?」

「…………。…………あ。……ううん……なんでも。なん、でも。ない。葵ちゃんそうね、私がお母さんね……そうね……塩水、平気?」

「目に、しみる」

「そうね」

風にのってきた残り香がなんの香りか、響子にもわからないが、葵が海水で涙を目に浮かべているように響子も塩水を目に貯めた。

生きるのは、やはり、むずかしい。

響子は、おいで、と声をかけて、明日も生きる新しい娘を抱きしめた。

この子は大切に愛を知らせてゆく。
そうすれば、地に両足をつけて、生きてゆける。

永遠を夢見るなんて、させまい、そう心に言い聞かせながら。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。