心臓と熱帯魚

翻訳機を通して、ガーガーと錆び付いた声が届いた。
「あな……たの……心臓……」
「おや? 肉食なの?」
巨大な水槽に人魚を流し込んだ博士は、小首を傾げる。自分でつくった翻訳機と向かい合って、ひそひそ話をした。
「人間を食べるのか。まずいな、こりゃ。発表したら駆除されちまう」
「……心臓……」
ガガガッ、と翻訳機がざらざらしながら呻く。
博士は、天をあおいだ。カビ臭く汚れた天井。せまくて汚くてこれといった発明品もなにもないこの研究所兼私室のワンルームアパートの片隅。このアパートがほかと違うところといえば、電力消費量がウソのようにバカ高いのと今さっき引っ捕らえた人魚を持ち帰ってきた、その人魚水槽がある、それぐらいだろう。

「せっかく世紀の大発見なのに。人喰いか。それは残念……。きみらは僕がずっと追い求めてきたもの。市役所なんぞに駆除させたくはない」
「――――?」
縦長の水槽にいれられた人魚は、虹色の瞳をぱちぱちさせる。真っ白なふわふわした巻き毛が、白い肌にまとわりつき、彼女の上半身は美しい女のそれだ。下半身はウロコがおおって魚臭く、大型魚のそれだ。
「人魚。残念だけど、君はここでずっとひっそりと生きてもらおう」
そうして博士と人魚の生活がはじまった。

長寿の金魚と同居をしているようなものだった。
翻訳機があるから、ちょっとした会話はできる。博士は人魚と一緒にテレビゲームができるぐらいに仲良くなった。ビニールにいれて封をして密閉したコントロールを渡すと、人魚も最初こそは囓ったりやぶろうとしたり、博士をヒヤヒヤさせたものだが今では一緒にぴこぴこと遊ぶ仲間だ。
いつしか、博士のせまいワンルームマンションに、笑い声があふれた。にぎやかな声と歓声と、気安い言葉の応酬が繰り返された。博士と人魚はすっかり親友になってしまったのだ。

三年もして、博士はその日、人魚のためにスーパーに買い出しにでていた。旬のサンマを手に入れて、さぞや喜ぶだろう、と期待した。
ところが、帰宅してみると、
「お、おい。人魚!? どうしたんだ!?」
博士の人魚は、水槽下にうずくまって、彼女自身の肩を抱えていた。震えをはしらせて全身を痙攣させていた。
博士の目の前で、彼女の美しい体が、泡になっていった。真っ白なふわふわした巻き毛が海水に溶けて消えていった。博士が彼女を心配して叫ぶ。ガ、ガガガガッ、翻訳機から声が聞こえた。
「あな……たの……心臓、食べられない、食べたくない、……から……」
博士があぜんと自分の耳をうたがう。その合間に、人魚は完全に泡となって目の前から消えてしまった。

茫然自失とする博士。

人魚と過ごした、かけがえのない日々を思い出し、童話の『人魚姫』なんて話を思い出した。そうか、声があえかに落ちた。
「あれは……、先史におけるせんぱいの、実体験だったのか」

人魚は、肉食獣で心臓などを嗜好品として食べるが、なにかに恋するなどして心臓を食べるのを本当に拒否してしまうと、泡になってしまうのだ。
それが、博士の過ごした三年間で実証されていた。

博士は、やっぱりこのことは学会に報告しなかった。
趣味の釣りはやめて、今は、部屋の超巨大水槽に、あの子が溶けてしまった海水のなかに、せめてなにかのお魚をいれてあげようと、きれいな魚を熱帯魚売り場などで物色している。せめてもの、手向けに。



END.

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