青春の血(ハッピーEND)

美沙さん、いつのころからか、彼は「美沙ねーちゃん」と呼ぶのを止めて、春美美沙をそう呼ぶ。
ふり返った美沙は、セミロングの黒髪を縦糸がほつれるように揺らした。毛が硬くて真っ直ぐだから、風に触られるとそのように動く。
「美沙さん!」
「弓実くん。どうしたの?」

小学6年生になったばかりの彼は、背が伸びて、顔立ちも随分と大人びた。しかしプールで脱色されたグレー色の髪は相変わらず。
高校生にあがった美沙に、彼がぶんぶん、元気よくふりまわしているそれは夏休み前の成績通知表だった。
ひどくうれしそうに、弓実は歯を見せる。

「おれ、そっちの学校に入れそう!! このまま成績キープできりゃオッケーですって!」
「わぁ、ほんと!? 凄いね、弓実くん。5年生のときなんか、」
「あ!! その話ゃーおれ聞きたくねー!!」

自分の耳をふさぎ、弓実はぶんぶん、今度は頭を左右に揺する。美沙はあははっと笑って、広い空の下を彼とともに歩いた。
美沙の肩には、高校の学生カバンがかけてある。学校からの帰宅路。彼と道が交差する、この信号機の前でよく待ち合わせをしていた。
片方の道は、丘の上の一軒家へと続く。
美沙は、けれど、そちらには行かずに弓実の後に続き、もう片方の道をくだって下り坂を歩いた。

「そうだ。成績あがったんなら、美沙さんにもお礼にケーキ買うって話してたんですよ。母ちゃんと。ちょっと寄り道しましょう、美沙さん」
「ケーキ? いいの? たいして勉強なんて教えて――」
「おれがこんなに成績あがったの、美沙さんの家庭教師のおかげに決まってるじゃん!?」

弓実の笑顔が眩しそうに、美沙は目をほそめた。そして笑う。
「じゃあ……。お言葉に甘えて、でも軽いやつ、かな。今、ちょっと、お腹が重いというかチョコレートはちょっと控えてるのよね」
「ああ。なるほど」
つまるところ、生理がきているわけだが、弓実は馴れた感じで美沙の自己申告を受け容れる。こんな話は、弓実が小学2年生だったときから親しくしている美沙との仲では、普通の会話になった。

美沙は、今、平凡に高校生として生きている。

それは美沙の選択だ。

昔、小学6年生だったころ、はじめての生理がきた日、はじめての悪魔達のミサに出席した日、妹の結愛とケンカした日、弓実の母の晴子がいれた青汁を飲んだ日――、すべてを経たうえで美沙は選んだ。
体に流れる血が何色をしていようが、心の色は自由に決めていいものだと、その未来を信じて。

「う~んと。軽めの、ケーキ。ゼリーとかプリンとかがいい?」
「……ふふ、ふふふ。ふふふ、それじゃ」
ケーキショップのウィンドウをふたりして見下ろしながら、美沙はにこやかに頷く。弓実が指差した、プリンに決めた。
店を出て、晴子の待つ家へと向かう。

美沙が楽しそうに笑ってばかりいるせいで、弓実が頬をうすい赤色に染めて戸惑っていた。美沙さん? と、名をふしぎそうに呼ぶ。
「ううん。来年には、弓実くんも同じ学校かぁ、と思って。そうしたら楽しいよね。あたし、部活入ってないんだけど、弓実くんはプールやるでしょう? なら、あたしもそっちに入部しようかしら。中高一貫校はこういうとき嬉しいものね」
「えぇ~? おれに合わせる必要なんて」
「あたしがそうしたいのよ」

悪魔の肉体を持ち、生理の日には青い血を流す女の子、春美美沙という名とともにハルミハルミバハルバルナバヌハル・ミー・ミサという悪魔の名も所持して、人間ならざる人間のかたちをした生き物は、もはや本物の少女も同然に頬をピンク色に染めている。そして少年少女がするように、青春の真っ只中にその身を置いていた。

「ふふ、そうしたら、一緒にお弁当を食べたりしようね」
「えぇ。べつに、いいですけど」
弓実は、まだ頬が赤い。昆虫が大好きでいかにも雑な、そこらのガキだった男の子は、男性の目をして真面目な顔になる。
うん、と、美沙は頷いた。今まで、明確な言葉は交わさずに過ごしてきたが、男女の仲などそんなもんだろう、今の美沙ならそう思える。

美沙もほんのりと頬を染めて、少し恥じらう。しかし言う。

「じゃあ、弓実くんがうちの学校にきたら――、ちゃんと。付き合う? あたした」ち、とは続かず、弓実は泡を食ったように慌てる。
「あ。あ! それ、おれが言うから! 美沙さん!!」
「あはははは。じゃあ、勉強がんばろう」
「ウッス!!」
「あははっ」

美沙は、美沙として生きると決めた。

その決断の延長上にある、いつの日も変わらない空は今日も青い。明日も青いし、明後日も青いだろう。
永遠に青いだろう。

人間として、悪魔として、美沙はあるがままの青い色をきれいと思える自分自身を、今になってやっと愛おしく思えるのだった。美沙の大好きな男の子は、顔一面を赤面させながら、彼の家のアパートのドアを開けた。
「母ちゃん、美沙さんー! きたよ!」
「あらあら。美沙ちゃん! 今日もありがとう、いらっしゃい」

「はい。こんにちは。今日もよろしくお願いします」

美沙は、美沙の選んだ家に招かれて、足を踏み入れる。

それは、どのように生まれたにせよ自らの意思で幸せを選んだ者の、祝福と抱擁に満ちた一歩目。美沙は今日もまたその一歩を踏んで、美沙を招いたひとたちの笑顔にこたえて、美沙自身も満開に頬を綻ばすのだった。



END.

(ノーマルENDの数年後、幸せになった姿です。一連の『青ミドリの血』シリーズ終了ですありがとうございました)

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。