ぼくと人魚

「私って人魚と言う」

こぎれいな瞳を開いて彼女は問うた。テトラボッドのごつごつした4脚のうち、ひとつの脚に座りながら、両足の代わりの尾ヒレを上下に動かした。

幼稚園児がばたばたさせるように、尾ヒレを揺らす。

「ニンギョ! ニンギョ!」

曙光を浴びる彼女はうつくしい。無垢な顔つきが赤ん坊をほうふつさせる。

実際、人間ではないから、彼女の見た目どおりの女子高校生ぐらいの女とは、目つきも面差しもまるきり違って当然だ。水気がやや抜けた金髪を潮風になびかせてはしゃぎ、ぼくの教えた日本語で語りかけてくる。

「タカヤは、人間、だから、海にいないのね。私、海にいるのは、にんぎょだから?」

そうだよ。ぼくは教える。

最後の授業だ。ぼくのクーラーボックスには解体用の肉切り包丁がいれてある。このテトラボッド群の奥地で出会ってから、ずっと、ぼくはこの日を夢に見た。

確かに、人魚はにんげんとは違った。まるで赤ん坊だ。無垢で純真でこころが清らか、手垢にまみれた人生を歩まざるを得ない人類とはそもそも共通点なんか無い。実際、ぼくは人魚の肉を食べて不老不死になったと云う八尾比丘尼の民話が好きだ。だから、女子高生のような、赤ちゃんみたいなこのメスのこころを解きほぐしていきながら、

「ねぇ、今日はお土産があるんだ。こっちのクーラーボックスを開けてくれる?」

「あい。そっち、は?」

「ぼくがあける」

にっこりと、笑えてしまえる。

持参した、ふたつのクーラーボックスの片方には海辺で拾った貝殻が詰めてある。人魚は本当に他愛もないそんな玩具が好きらしかった。わあ、彼女が喜色ばんだ歓声をあげる。ぼくは、もうひとつのクーラーボックスを開けた。包丁、それだけが入っている。

持ち手を握った。

「人魚は、おっぱいを貝殻で隠すんだよ。ねぇ、どれが好きかい? 選んでちょうだい」

「きれい、貝、カイガラ!」

「これでちゃんと日本の人魚になれるよ」

ぼくは笑って彼女の後ろに立った。

ごめんね。でも仕方が無い。ぼくと彼女は、人間と人魚なのだから、結末はこれしか有り得ないだろう。人魚は不老不死の薬と言うし。ぼくは、俗世に穢れきっているし。

さようなら、ぼくの人魚姫。


END.

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