いつもそこに「いて」ね
人魚の肉を食うと不老不死になる。
民間伝承が残っている。と、いうことは、誰かが、食ったのだ。
ヤマギリは通学路に気になる大木があった。一見、ただのイチョウの木だが、裏側にまわると人面犬さながらの人面がある。小学生のとき、かくれんぼのとき、たまたま見つけた面妖な面相。ヤマギリが高校生になっても面相はずっとそこにあり、面相の位置も変わらなかった。
……ニンギョの木だな、ヤマギリはいつしかそう思う。不老不死の人間が木に化けてここにこうしてずっと立っているんだ。
そう思えるほど、人面は見れば見るほど、目をつむったどこかのおじさんだ。
きっと。きっと、不老不死になったとしても、人間ってメンタルが続かないんだろう。だから木にでもなってしまう。体は成長を止めても精神は老け続けるから、人間の心のほうが寿命を切ってしまうんだ。
こんな夢想をヤマギリは通学のたびに思う。イチョウの木、いやニンギョの木。枝を折っても何の反応がない。もう心まで死にきってほんものの木になってしまった。
「不老不死なのかな、おまえ」
ニンギョの木に語りかける。大学生になっても、結婚しても、子どもができても、人面つきのイチョウはそこにずっとあった。
あるとき、よぼよぼした爺さんの手がイチョウの葉っぱと枝を奪った。
コトコトコト。鍋で煮ていると、孫娘が母親に告げ口した。
「かあさーん。じっちゃんまたイチョウの木ィ食おうとしてる!」
「お義父さん! やめてください!」
火がおろされる。ヤマギリは落胆しつつも今日はひとまず諦めた。
今なら。
イチョウの木に化ける気持ちもわかる、気がした。
死ぬのは怖い。とても怖い。けれど、もしほんとうにコレで不老不死になったとしても、頭の中身は数十年もすれば発狂してしまうだろう。
杖をつき、馴染みの道を散策して、ヤマギリはその日もイチョウの木の裏を見た。
人面。ずっとここにいる。
「……木が気ィ狂っておるんだわな」
つぶやいて、散歩に戻る。人面は、いつも変わらず、そこにあった。やはりヤマギリにとってはニンギョの木であった。
哀れな、成れの果ての大木だった。
……そうでも思わないと、老い先短い我が身の悲しさから心が青に染まる。ああ、人間とはなんて心がせまくてみにくくて困った小心者だろう? ヤマギリは思う。
ニンギョの木はいつしかヤマギリの心の慰めになっていた。ほら、生き延びても青いもの悲しさは変わらないよ。青い悲しさはずっと残るよ。木は語る。
END.
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