あくままま(ママの日常)

「晴子さん?」
 いきなり、下の名で呼ばれたものだから、晴子は目をみはらせる。ハイ、と返事はする。ご近所の寄り合いに参加していることもあり、見知らぬ誰かが話しかけてくるとしても、おかしくはなかった。
 スーパーでバスケットを手に、どのレタスが新鮮であるか、ジッと晴子はそれを眺めていたところだ。
 声をかけた女性は、晴子よりも年上に見えるが、晴子よりも年下の男性ですらよろけさせてしまえそうな、魅惑的な女性だった。スタイルがよく、背筋が伸びて両脚がぴんっとしている。
 いわゆる美魔女か、なんて単語が脳裏に浮かぶが、美魔女は実に家庭的に、晴子に言葉を続けた。
「レタス、そちらのがよろしいかと。こちら、芯が赤くなってますわ」
「あ。そうですね、あかい……」
「芯が赤いレタスは、古くなってるとテレビで観ましたわ」
 にこにこしながら、美魔女。
 晴子は言われるがままにレタスを取り替えた。芯の白い、別のレタスにすり替える。

 ふり返ったとき、美魔女はちいさく会釈をして、腰まであるウェーブヘアを揺らしながら去って行こうとする。
 が。晴子の視線に、背中向きでありながらも気づいて返事をした。
「ああ。春美です。……お世話になっておりますわ。うちのユアが、晴子さんのユミくんにちょっかいをかけていて、失礼しております」
「あ! ああ、結愛ちゃんママ!」

 晴子の記憶は鮮明になる。授業参観日でも、春美の母は目立っていた。ずば抜けて容姿が整っていてきれいだったから。
 春美家のママは、今は眉間にほんのりとシワを寄せていた。
「どうにもね、一度執着すると、止まらない性分で。昔っからユアはそうなんですよ。困りものでしょう?」
「ええ、いえそんな。うちの弓実なんかのどこがそんなに気に入ったのか、不思議ですよ。春美ママさん。息子が乱暴にしてないといいんですけど」
「それは大丈夫ですわ。うちのユア、乱暴にされるぐらいで、きもちがよくなる性格ですから。本当に」
 何気なく言うが、晴子は、我が子に対する感想としては少し素っ気なさ過ぎる気がした。顔を上げてまじまじと眺めてみると、春美の母親は、目は真っ黒くて美しく、肌は色白で陶器のようで、よくできた西洋人形の大人型のような女性だ。
 礼儀正しく、頭を少しさがらせて、春美の母はバスケットに野菜を選んで入れる。そうしながら、

「そういえば、ユミくんの血は何でできているか、質問しても? ユアが気にしてときおり、うちでも血が違うと言うんですのよ」
「血? ですか? ……肉とお野菜……? 栄養バランスも考えて、魚も週に一度は食べさせてますよ」
「健康的ね!」
 なにが面白いのか、晴子は思う。女性はけらけらと微笑んで、さもおかしげに、そして悩ましげに溜め息など吐き出した。
「ユアも、もっときちんと人間らしくしてくれると、わたくしも助かるんですけれどね。ありがとう」
「……うちの息子は、私が言うのもなんですけど、けっこうバカですから……。結愛ちゃんが気に入るほどではないですよ」
「それが好みなのね」
 母親たちは、意味深に視線を交わしあう。
 かたや、息子が片思いをされていて、かたや、娘が片思いをしている真っ最中だ。それにしても春美ママは冷たい目をして結愛ちゃんのことを喋るな、なんて晴子は思う。

 それではね、と、春美ママはスーパーのバスケットを肘の内側に食い込ませながら――腕が本当に細くて、ほっそりしているから、食い込んではみでてきた分の肌の柔らかさが目で見てわかる――、颯爽とその場を後にした。
 野菜売り場に残された晴子は、結愛ちゃんと、今のママとを思い浮かべて並べる。見た目がよく似た親子だ。

 ご近所の寄り合いで聞いた話が、ふと思い起こされた。両手に持たれたレタスはバスケットボールほどに大きかった。
(そういえば、6年生のお姉ちゃんがいるんだっけ。6年で1番とか2番とかいう……、頭のいいお子さんなのよね)
 新鮮なレタスに、目をやった。
(たまには、ミキサーで砕いて、ナマの青汁でも作ろうかな?)



END.
(「悪魔のジュース」~から、続いてしまってます)

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