⑳19歳、仲居の1日
予定より2ヶ月延びたが無事就職ができた。
寮で一人暮らしをしながらの新生活が始まった。
話が無しにならず本当に良かった。
面接時に一度行っただけの新天地での生活が始まりました。旅館業、、なめてましたね。完全に。
表面上のニコニコ接客するだけではもちろんなく、お迎えからお帰りまでの裏での仕事量も半端なかったです。
私が就職した旅館は、40室くらいある純和風で、
お迎え時には着物を着た仲居がロビーにずらっと並びお出迎えをする、皆さんがイメージする様なTHE旅館!という感じでした。
食事もバイキングではなく、全部が部屋食。
大体1人の仲居が各部屋の人数にもよりますが、3〜5部屋を担当したり、大人数の宴会場を任されたり。
私自身もなにもわからないまま仲居の世界に飛び込んで、着物の着方から襖の開け閉め、あらゆる所作を教えてもらいました。
街の観光名所やおすすめスポット、交通の事だったり外部の事までを知る必要があって色んなことが一からで、てんてこまいの毎日。
やはり相当な体力を必要とする仕事で、
決まった時間に各部屋に食事の配膳をしてましたが、各2、3名の5部屋を18時、18時半、19時の希望時間に合わせて事前に部屋に配膳をして、食事がスタートしたら揚げ物、焼き物、味噌汁、デザートをその都度持っていって、食事が終わったら食器を撤収しにいって片付ける。
一台のエレベーターでは足らず着物に下駄で階段を1階から6階まで何往復もしたり。その日の同じ階のメンバーとももちろん協力はするけど基本的には各々。
これが5部屋にもなれば、本当に頭を使って上手いこと段取りを組まないともう、どの部屋になにを持っていってどの部屋に持っていっていないか、食事のスタートが遅れてしまったり、食事が冷めてしまったりするので、もう食事時間は戦争でした。どこかがズレてしまうともう収拾がつかず大パニックで泣きながら配膳したことも多々、、
慣れない着物で、なにかをもって部屋に入るにも、襖の前で正座で座って食事を置いて、作法通りの襖を開け方をして中に入ったらまた食事を置いて正座をして、作法通りの閉め方でしめて、上座下座お尻の向きにも気をつける。
立ったり座ったり本当に膝は見せられないくらい当時はすれて真っ黒でしたね。
会社や同窓会などの数十人〜100名以上の宴会も多くありました。2人位で担当するので1人じゃない分、気も楽でしたが、未成年だったのでお酒作りも初めて、もちろんお酌も初めて、コンパニオンさんという人たちの存在を知ったり、、
全然知らないカラオケをデュエットしたり(させられたり)、大塚愛やAKBの曲を歌わされたり、、
酔っ払ったお客さんの相手はしんどかったですね
セクハラ、パワハラまがいなことも多々、、。
売り上げもあるから、上司からは盛り上げて飲ませてみたいな感じだったし、仲居もお酒や別注を売り上げないと、今月は誰がどれくらい売り上げたって統計した表が張り出されるので、必死ではあった。
仕事を続けるうちに、仕事のキツさにプラスされ、私はコンパニオンではないのに若さと雰囲気で勘違いしてるであろうおじさま達への嫌悪感、、どうすることもできない状況に仲居業自体がどんどんつらくなっていった。
確実に人手不足の旅館だったので、目の前のやることでいっぱいいっぱいで、お客さんとのコミュニケーションが最低限にしかできなかったのが心残りです。
私にもっとスキルと余裕があればできたのかもしれませんがまだ経験が浅かった当時はあれが限界で、その場しのぎの感じでやってしまってた感が否めません、、歳を重ねた今だったらもう少しおもてなしの心を持って接せれると思います、あれをやり切る体力はもうありませんが、、
寮はぱっと見普通のアパート。
2棟の寮にほとんどの人が住んでいて、
朝、6時20分位だったかな
寮の下にお迎えのバスが来て乗る
しっかり化粧もして髪もお団子にして着物で。
ついたらバタバタと朝食の準備、配膳、食事の片付け(6時半〜9時半)
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10時チェックアウト、仲居はちゃんと一階のに降りて駐車場まで行って見えなくなるまで手を振りお見送り
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全部屋お見送りをしたら、部屋の片付け、その日の午後のお客さんの部屋の準備(10時〜11時半)
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終わり次第、中抜け。
送迎をしてもらって寮に帰る
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14時半、寮の下にお迎えがきてまた出社。
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つき次第、お菓子を配ったり変更点の確認、部屋の再チェック。
終わり次第、一階ロビーにてお出迎えのため整列して待つ
↓
15時から徐々にチェクインが始まり、対応。
部屋にて名物の物やお茶を出したり、館内説明や雑談。
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全部屋着いたら、裏で夕食の下準備をしたり、私たちが早めの夕ご飯を食べるタイミングがあったり、なかったり日によりけり。
↓
17時すぎから夕食配膳が始まり、
片付けまで終わるのが21時すぎ、遅ければ22時とか。
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終わり次第また送迎をしてもらって寮に帰る
↓
そしてまた次の日、5時台に起きて、
着物、化粧、お団子頭で6時20分の送迎のバスに乗る、の繰り返し。
休みは週に1回か、たまに2回。
仲居の休みは1日といっても朝からではなく、
その日のお客さんをお見送りして片付けや午後の準備をして、いつもの中抜けの時間(10時〜11時半)から休みがスタートして、次の日の中抜け終わりの14時半までが休みという感じでした。
もちろん給料は高くはありませんでしたが、田舎すぎて周りにショッピングセンターとかも全然なかったのでお金を使う事もあまりなかったです。
ありがたいことに心付けをいただく事も多かったのでお金がない事に困る事はありませんでした。
やっぱり1日の長時間労働で体力的にはきつかったですが、人間関係もなかなか、、もちろんよくしてくれた人もたくさんいます。(まっ辞めると伝えてからはびっくりするくらい一斉に冷たくなったので結果人間関係ってこんなものかと思いましたが、、)
旅館のドラマとかみたいな、なにかとチクリと言ってきたり、若いと徳よね〜みたいな嫌味なお局さんもいたり。
こんなに頑張ってるのに、褒められることはあっても貶される意味がわからないと思ってたけど、私自身、同期入社の子よりもそれなりに仕事もできたし(クビになっては困るので一生懸命に頑張りました)、あちこち愛想良くしていたのが鼻についたのかもしれない。何につけても何かをいいたいだけの人っていますもんね。
この仕事を辞めたいと何回思ったかわからないけど、でもやめたら家もなくなるし、どーもこーも相談できる人もいない、学生時代の慕っていた恩師からは卒業して再開してまさかのセクハラをされそれ以降疎遠、頑張ってと送り出してくれた施設の先生にも弱音を吐きづらく、今以上にSNSが身近な存在じゃなかったあの時はどうすればいいか悩んだし、悩んでも悪い方にしか考えられなくてまた自分を傷つけだしたり、正直なところプライベートでは色々素行もいいほうではなかったと思う。
投げやりな毎日だったけど、仕事場ではそんなそぶりをだす事もなく愛想良く効率よくちゃんとやっていた、というか、、できちゃう。
トップの先輩仲居からも右腕と期待されていたし、最後は大宴会のリーダーも任されたりした。
このギャップも問題だった感じもする、、
闇深い、、
振り返ってみても良い思い出だな〜とは全く思いませんが、それなりに思い返せば笑い話は多々あります。人生の中では本当に良い経験をしたと思います。色んな所作や知識を学べた事、19歳であの一生懸命頑張った、やりきった、色んな葛藤や経験は確実に自分自身を強くしたし、プラスになっています🍀
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