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日々記:これって前世の記憶なんでしょうか? 鎌倉プチ物語

早いもので紫陽花の季節も去ろうとしている。
隣町の鎌倉も、この時期は混雑がひどくて近寄れないのだが、そんな模様がTVニュースで流れているのを見たら、ふと昔のことを思い出した。

息子たちが幼かったころ、鎌倉ハイクに、よく出掛けたものだった。
古都鎌倉、神社仏閣の鎌倉には、自然豊かなハイキングコースという、もうひとつの顔がある。
おにぎりやおやつを携えて、よく歩き回ったものだ。

30年以上前の、ある日のこと。
息子たちを引き連れてJR鎌倉駅に降り立った。
あの日も、紫陽花が咲き競っていたから6月だったのだろう。

若宮大路の段葛だんかずらを歩いてまずは鶴岡八幡宮に参拝。
少し奥まったところにある頼朝の墓もお参りして、お次は修道女シスターたちが手作りしたクッキーを売っているというレデンプトリスチン修道院を目指した。

梅雨の晴れ間でお天気は良好、雨の心配は無かった。
今のようにGooglenaviなどのアイテムが無く、そもそも携帯すら(普及し始めてはいたけど)持っていなかった。
頼りにするのは、ハイキングブックだけだ。それすら10年くらい前に発行されたボロい物だったので、当時開発が著しい鎌倉の郊外を歩いていると、林の中の一本道のはずが区画された住宅地になっていたりして、混乱することがあった。
山歩きする時のように、方位磁石まで携帯していたものだ。

その日、レデンプトリスチン修道院でお目当てのクッキーを手に入れて、親子4人の気分はあがっていた。
次に向かうのは北条高時腹切りやぐらだ。
物騒な名前だがその名の通り、鎌倉幕府の執権北条高時が反政府軍に攻め入られて、最終的に追い込まれた北条家一門と家臣が自害した場所だ。
もちろん好奇心で立ち寄るようなつもりは無かったが、錚々たる無念の魂を慰霊する気持ちと、なによりここは祇園山ハイキングコースにも繋がっている場所なので、外す理由も無かった。

レデンプトリスチン修道院からは徒歩3分程度のはずだった。
当時3歳だった次男のペースに合わせてゆっくり歩いてはいたのだが、どうも目当ての方向と違うような気がしてきたところだった。
小さい子どもには少し疲れも見えてきた。休憩してお茶でも飲もうか?
ハイキングブックの付録の地図を広げて、あらためて確認していると、のびていた(=疲れていた)はずの次男が、いきなり元気のいい声をあげた。

「オラ、この道、知ってるぞ!」

ヘンなせりふだが、ひと昔まえの男児の多くは「ドラゴンボール」の孫悟空の影響を色濃く受けて、自分のことを「オラ」と称してまかり通っていたものだ。次男ももれなくそうだった。

初めて歩く鎌倉の道を、3歳の次男が知ってるはずは無いので、相手にもせず地図を確認していた。
すると次男は「こっち、こっち」と言いながら、どんどん歩いて行ってしまうではないか。
とりあえず追いかけなきゃ。
細い道を左の方に曲がって行く。うん、方向は違っていないみたいだが。
いつもは親の手にぶら下がって、のんびりのんびり歩いている次男なのに別人(別児?)のようにぐんぐん進んで行く。
たまらず長男が「おい、待てよ!」と声を掛けたが、止まらなかった。
「こっちだよ」と言って、いかにも案内するかのように、自信に満ちた様子で招く次男。
「こっち、こっち」
低木の茂みを抜けたその先のところで、しかし次男の足がはたと止まった。
そこには新しい住宅が数軒建っていて、来た道の先は断たれていたのだった。

「おかしいなあ、むかしはこうじゃなかったんだけどなあ、、、、、、、、、、、、、、、、、、‥‥」


立ち尽くす3歳の子どもに、みなが背筋を凍らせた。
むかしって、いつのこと?

これって、前世の記憶なんでしょうか?
それとも、北条氏の亡霊が次男に道案内させたのでしょうか?

あまりの衝撃に、その日のハイキングコースの記憶はそこで途切れたままで、いつの間にか30年が経った。あれはなんだったのだろう。
あの場所で、ただ紫陽花が色濃く染まって鮮やかに咲いていたことだけが、脳裏に刻まれている。

今年の6月も、今日でおわる。






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