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6話:JR湯檜曽駅ミステリー

「日本の旅と風景印の物語」をテーマに、日本各地の旅行記を綴っていきたいと思っています。
6話目は、今年4月のお話になります。どうぞ読んでください。


始めにおことわりしておこうと思うのが、本作を「物語」と謳いながら今回は「写真ルポ」の形態をとってしまったこと。
本来ならば文章で綴るべき事柄なのだが、あまりにも驚きに満ちた光景に、これを伝えるには、もはや画像に頼るしかないと考え、筆を休ませることにした。ご容赦いただきたい。

        (そっちの方が面白いぞ! という声が聞こえる)


ここは群馬県の水上町。
朝から利根川沿いに諏訪峡遊歩道を散歩して随分と楽しんだところだ。
お隣の湯檜曾(ゆびそ)にも寄って、谷川岳が描かれた風景印をもうひとついただこうと思い、ここまでやってきたのだった。

国道291号線を郵便局に向かって走っていたら、そのすぐ傍に変わった形の建物を発見してしまった。

これが物語の、いや写真ルポのはじまり

駅であることはよくわかるが、入り口だけだ。
普通に言う「駅舎」らしきものが無い。うしろの高いとこに見えてるのがホームか。

湯檜曽駅の名前は見聞きしたことがある。
上越線の「湯檜曽ループ」は、鉄道ファンでなくとも有名だ。
高低差を稼ぐために線路がぐるっと回って、ループになっている。
地図上で見たことがあるが、線路が見事に1周している珍しいものだ。

もしかしたら、中に入れば何か資料が積んであるかな。

来る人を拒絶気味の感がある駅入り口 狭き門
乗らないのに入ってもいいのかな


そうこうしてたら上越線の上り列車が入ってきた!
だれか出て来るかな?

しばらく様子をうかがったが、だれも出て来なかった。
電車が去った駅は、静まりかえっている。

がぜん、興味が湧いてきてしまい、用は無いのに中へ入ってみることにする。

コンクリート打ち放しの入り口をくぐって奥に進むと、運行に関する諸々が、壁面に取り付けられている。
窓口や改札はいっさい無い、無人駅だ。
これによると、上下線とも1日5本の運行。

だが、そんなのよりもすごいものが、さっきからすぐ横で口をあけている。

なにこれ?
今は4月だが、奥の方からは、なにやら冷気のようなものが‥‥
案内板の矢印によると、この先には「土合 湯沢 長岡方面」、つまり下り線のホームがあることになってる。

あまりに怪しい通路にひるんでしまい、反対側にある明るい上り線のホームの方へ、先に行ってみる事にした。
ちょっと階段をのぼったら、すぐそこ。

上越線の無人駅。普通にのどかな光景だった。
ホームの柱には「海抜五五七、四三」と書かれていたりする。

このようなプラットフォームに身を置く機会はめったに無いので、しばらく行ったり来たりして現場検証。
聞こえてきたのは、遠くでウグイスが鳴く声だけ。
とても静かで風も吹かない。

さて、それでは問題の箇所を点検しに行ってみようか。
階段を戻って、下の通路へと向かう。
さっきの怪しい入り口から、下り線ホームを目指して、冷気の中を歩いて進んだ。


げげっ!
暗闇の中に、下り線ホームらしき線路があった。
あの青い光のところまでなら、行っても大丈夫かな。

おそるおそる、暗い方へ向かって歩いてみる。
上越線って、3両とか4両編成じゃなかったっけ?
なんで、こんなに、長いプラットフォームが続いているの?


行き止まりまで来てしまった。
ゆうに400メートルはあっただろうか。
(ここに至る途中に、出口から0.3kmとの表示があった)

電車1両の長さが25メートルだから、16両編成の列車が停まれることになる。
こんな小さい駅に、必要以上に長いプラットフォーム。いったい何だろう。

そうだ!
上越線は貨客列車の他に、貨物列車もかなり走っている。
きっと、貨物列車が停まるために長くなっているのだ!(証拠は無い)

ところで、一番奥に立っているアレは、何だろう?

調べてみたら、この「電」の標識は、鉄道の「最大停止位置目標」だと書いてあった。
なるほど、ここで電車が停まるのか。やはり貨物列車だ。(あくまで推論)

すっかり興奮してしまったが、これくらいで引き返すことにしよう。

振り返ったが、抜け出るべき地点が見えなかった。

てくてく歩きながら、この空間はもしかして有事の際の防空避難所にするためのものかも知れない、などと想像が膨らんでしまった。


明るいところに出て、さっきの運行案内板のところまで戻って来たが、資料とおぼしきものは積んでない。
なにか説明になるものは無いかと嗅ぎまわったが、なにも無くて、それはいいとして、さっきから気になって仕方がないものがあった。

どんな券が出てくるのだろう?
ただでさえ、あれば押してみたくなるボタンは、誘ってくる。
(乗車しないのに押してはいけな‥‥)

ポチ。

小さなモーター音とともに、白い紙片が落ちてきた。
(よいこはマネしないで!)
握ったら、手のひらに隠れてしまうくらい小さい、乗車証明書だった。



非日常の連続で、あやうく本来の目的(風景印をいただくこと)を忘れてしまいそうだがさにあらん。
湯檜曽郵便局はJR湯檜曽駅のお隣りなのだ。
平屋建てだがしっかりとした造りの建物は、冬場の豪雪に耐えるためのものだろうか。
中に入ると男性の局員さんが1人おられた。

切手は、湯檜曽にちなんでヒノキ(檜)のものを選んだ。
ヒノキはこの時期花粉をとばすので恨みがあるのだが、今日は特別だ。

谷川岳の一ノ倉沢岸壁を描き、手前に湯檜曽温泉の様子
こごしかるの文学歌碑は北原白秋のもの



車で少し走ると北原白秋の歌碑を見られるようなので行ってみる。


そして最後に、湯檜曽の町はずれから谷川岳をのぞんで、旅を折り返すことにした。

今回の旅でいちばん谷川岳に近い1枚


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帰宅してからも、湯檜曽駅のことがどうにも気になって、ついついググってしまった。
すると皆さん興味津々のご様子で、行ってみた、撮ってきた、という投稿があふれていて、あとになって驚いた。
(何番煎じになることやら‥‥)

わかったのは、湯檜曽駅がこのようなかたちになったのは、1967年に新清水トンネル(全長13.5km)が完成して以来との事。
現在の斬新な駅舎が造設されたのは2021年の事。
大昔に使われていた駅の旧いホームや通路も、少し離れた場所にまだ残っている事。

しかし、下りホームが必要以上に長い理由はどこにも書いていない。
そこで、これはもう聞くしかないと思ってJR東日本に電話をかけた。

電話窓口のかたは、丁寧に話を聞いてくださり、時間をかけて調べてくださった。
しかし、下りホームが長い理由は「トンネル工事の際に、なにか必要があってのことではないか」と、これは窓口のかたの推論。
それに対して「もしや、貨物列車が停車して、そこで何かを積み下ろしするとか、そういうことじゃないですかね??」と、自論をぶつけると、そういう情報は把握されておらず情報も公開していないとのこと。

謎は深まるばかりだ。

どなたか、ご存知だったら教えていただきたい。


それではまた、次の旅で。




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