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ハリーポッターと読書遍歴と、決意。

先日、ハリーポッターシリーズの映画をテレビで放送していたのを見た。

初めてハリーポッターに出会ったのは小学6年生の時だ。同じクラスの友達が、その分厚い本をランドセルから取り出したのをよく覚えている。

当時の私はミヒャエル・エンデの『モモ』にはまっていて、繰り返し読んでいた。ハリーポッターに挑戦する同級生は少なかったが、私にとっては『モモ』よりもあっという間に読んでしまえる本だった。

当時、二作目の『秘密の部屋』まで日本語版が出ていたので、そちらもすぐに読んだ。その後、ハリーポッターを買ってもらえるのがとても楽しみだった。四作目の『炎のゴブレット』が発売されたときは、中学1年生だったのだけど、初めて夜中の3時まで夜更かしをしてしまって、次の日学校で居眠りをしてしまった。

それほど熱をあげていたハリーポッターシリーズだったけれど、高校生になって、なんとなく遠ざかってしまっていた。

現代文が苦手科目で、でも読書好きであることをアピールしようとしていたのか、純文学と呼ばれる作品を読み漁っていた。はっきり意識したことはなかったが、子供向けのファンタジー作品は卒業したと思い込んでいた。

七作目の『死の秘宝』が発売されたのは大学生になってからだった。大学生の頃、ほとんど読書をしていなかった。理工学部に入学し、毎日実験レポートに追われ、サークル活動も忙しい。通学時間は長かったので、カバンに小説が入っていることはあったが、だいたい東野圭吾のミステリだった。

ハリーポッターに再会したのは大学4年生の時だ。所属した研究室の本棚に、分子生物学や生化学の本と並んで、『死の秘宝』があった。どうやら卒業生の誰かの私物であるようだった。その頃は始発で登校して終電で帰るような生活をしていて、小説を読む暇があったら論文を読んでいた。

精神的に不安定になってきたころ、私は研究室の『死の秘宝』を持って帰った。(たぶん誰か先輩に「借ります」とは言ったはずだ。)読書がしたかった。現実から逃げたかった。ファンタジーの世界は、うってつけだった。

運命から逃げずに立ち向かうハリーの姿は、私の心を震わせた。まだ頑張れる。まだ頑張れる。

いつしか完全に自分をコントロールできなくなった私は、ついに大学院をやめた。バイトで少しお金を貯めては使い果たし、そんな生活を繰り返していた。

積み上げてきた学歴は今、何にも役立てられていない。でも少しずつ、自分がわかってきた。

ちょっと話がそれてしまった。そんなこんなで、ハリーポッターの放送を見て、ハリーポッターは全部読んだはずなのに、炎のゴブレットくらいまでしか内容を思い出せないな?たしかスネイプ先生は最終的にめっちゃ真っ直ぐで好きになっちゃう感じだったような?と思ったので、ハリーポッターを最初から読み直している。

(研究室で借りた2冊をそのまま持っていることは内緒の方向で)

そして今、『秘密の部屋』まで読んで、ダンブルドア先生の言葉にはっとさせられたので筆をとった。

ハリー、自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ

私にどんな資質があっても、他人に左右されるのはもうやめよう。私の生き方は、一緒に働く同僚の全員と違うものだけど、それでも、私はこの選択を間違っていたと思うのをやめよう。私の選択を正しいものにするのは、この先の、未来の私なんだ。

また夜更かしをしてしまいそうなので、『アズカバンの囚人』は明日にお預けしようと思います。

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