あんな大人になりたかった。

中学生の時、生徒会に所属していた。

生徒会長になりたかったけど、なんやかんやで副会長に立候補した。会長は、幼稚園からの幼なじみで、部活も一緒、いつも堂々としていて信頼できる人だった。彼女の事もそのうち書きたい。

副会長として、彼女を支える事に燃えていた。集会の進行を仕切り、交渉ごとがあれば走り回り、一番は、手薄だった、生徒の意見が会長へ集まる仕組みづくりに尽力した。

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ある日、3年生へ贈る千羽鶴の協力を仰ぎに、同級生の学級委員が会議しているところにおじゃました。全員私と仲良くしてくれているメンバーだ。気楽な気持ちで、クラスごとの取りまとめをしてほしい、と流れを説明し始めた。

話を遮って口を開いたのは、学年主任の先生だった。

「学級委員は生徒会の奴隷じゃないんだよ」

授業中も、ニコニコしながら毒を吐くタイプの先生だ。
しかし、この時の顔は笑っていなかった。

それまでほとんどしゃべった事がなかった先生の顔を見つめ、固まってしまった。

恒例行事だと聞いていた。どれだけの手間がかかる企画かなど、微塵も考えず行動していた。たしかに、学級委員たちには負担になるだろう。

(でも、言い方ってもんがあるだろ。)
(学級委員の皆もそう思ってるの?!)

しかし、生徒会担当の先生が、最初に話してくれた言葉が、ふと脳裏を横切った。

「活動中は、理不尽な事があるかもしれない。その場では何も言わなくていいから、僕に話してください。全部聞きますから。」

それで、言いたい言葉を飲み込んだ。

「わかりました。失礼します。」

と言って、教室を出た。悔しさで涙があふれ出た。

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生徒会室に戻り、泣きながら起こった事を話した。

先生は、特別な言葉をかけるでもなく、解決策を提示するわけでもなかったが、すべて聞いてくれた。当時の私にとって、気休めを言われるよりよっぽど嬉しかった。

その場に他のメンバーがいたかどうかは覚えていない。いたとしても、普段強気な私に、かける言葉などなかっただろう。気にしない方がいいよ、などと声をかけられていたら、「じゃああんたが代わりに行ってきなさいよ!」とでも言いそうだった。

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冷静になった私は、大変だけど、生徒会役員だけでも取りまとめはできるはずだ、とお風呂の中で考えた。ラインなどなかった時代だ。明日、生徒会の皆に相談するしかない。

次の日登校すると、最初に話しかけてきたのは私のクラスの学級委員だった。

「先生はああ言ったけど、私たちは手伝えるからね」

優しすぎかよ…。涙は出なかったが、涙が出るほど嬉しかった。

驚いたのはそのあとだ。
所用で職員室に行くと、件の学年主任に呼び止められた。

「昨日は悪かったね」

13歳の少女にあんな言い方をしたのは今でも許せないけど、大人にこんなに素直に謝られたのは初めてだった。

生徒会担当の先生が、何かを伝えてくれたのは明らかだった。

何コレ。昨日は最悪の1日だったのに、今日は最高の1日じゃん。

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結局千羽鶴づくりは、学級委員たちがそれぞれクラスの生徒に指示を出して回収してくれたが、集めたものを生徒会で数えたり形を整えたり糸を通したり地獄のような地道な作業が待っていた。驚くほど雑に折られたものが多かった。

その作業をしながら私は思った。

(生徒会こそ、生徒や先生の奴隷だよな…。)

卒業式まで飾られたあと行方不明になる千羽鶴は、次の年も後輩たちが作ってくれた。この有り難みがわかる人がどれほどいたことか…。

高校生の時に、事故で入院したクラスメイトに有志で千羽鶴を折ったが、あの時の数百分の1くらいの労力でできた。変だな。

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生徒会担当のK先生、あの時学年主任になんて言ったんだろう。

大人になったらわかるかなと思ったけど、わかったのは、勤続年数とか妬みとか損得勘定とか、大人の方が人間関係が難しいって事。

そんな中で、私が一番ほしかった言葉を学年主任に言わせたK先生はすごすぎる。あんな大人になりたかった。
(学年主任が自主的に謝った説はないと思われる)

私はこの一連の出来事で、子ども扱いされなかったのが本当に嬉しかった。子どもというか、『大勢の子どものひとり』扱いされなかったのが。おかげで、くさらずに生徒会活動に情熱を持ち続けられた。

塾講師として7年くらい働いたが、大勢のひとり扱いしない事の難しさに、改めてK先生を尊敬した。ひとりひとり考えてる事があって、どんなタイミングで話を聞けばいいのか。どんな言葉をかけていれば、信頼されるのか。正解はないのだろうが、K先生のような講師にはなれなかった。

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K先生はその年度末に転任する事になり、半年間のつきあいしかなかった。K先生の転任を知った時は、生まれて初めて『悲しさ』で泣いた。

3年間担任だった先生より、今まで出会ったどの人より、感謝していて尊敬している人だけど、つきあいの短さから遠慮がうまれ、近況を聞いたり報告したりする関係にはなれなかった。

それでも何年かは年賀状を送っていたが、今どこでどうしているのかは全く知らない。

あれから16年以上経っているから、結婚して子どもでもいるかしら。

願わくば、今でもたくさんの子どもたちの笑顔を守っていますように。

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