「いも」が「コンビニの干し芋」くらいになったかな

私がnoteを書こうと思ったきっかけについて話したいと思います。


大前提、私は自分の肌が好きになれません。


つぶつぶ、ザラザラしていて、赤いところもあって、暗い色でぼやぼやっとしているところもあって、ニキビは絶えないし、ニキビ跡だらけだし、気づいたらほくろ増えてたし。

よくドラマや映画で「そばかすがある、これが私。ありのままの私が、私は好き」みたいな雰囲気の話ってあると思うんです。
現実にもあると思うんです。
ありのままの自分を愛せるって、すごく素敵なことだと思う。


私にはそれができない。


ニキビ跡(と思しきもの)いっぱいで、毛穴が目立って、とても「きれいな肌」とは言えない自分の肌を、愛することができません。
せっかく両親からもらった大切な身体なのにね。

なんでなんだろうって突き詰めていくと、かわいくないから、綺麗じゃないから、って考えになって、
そうすると、「そのかわいい・綺麗の基準って誰が決めたんだろう」とももやもやしてくるんです。

かつ、化粧をしないと恥ずかしいっていう感情になる自分にも、疑問がわきつつ、嫌気がさして。

それも突き詰めていくと、「清潔感のないあの子」「周りは綺麗なのに浮いているあの子」みたいに思われて、周りから人がいなくなってしまうことが怖いのかなと思います。
清潔感は、本能的なものなのかな…?
自分の状態を「周りから嫌悪される」と認識して、ありのままを好きになれない自分、って思うと、なんか悲しい気持ちになることもありました。


最近思っていることは、「私自身がこのままでいたいと思えない状態なんだから、それは堂々と『好きじゃない』姿勢を貫いていいんじゃないか」ということ。

私はジェンダー学をかじったことがあり、「女性は綺麗でなければならない!」みたいな固定観点には反応してしまうし、自分がそのせいで自分の肌を愛せないのかなとか、考え込んでいたこともありましたが、
そうではなく、固定観点なんて関係なく、私は綺麗な肌でいたいんだ。
って、思うんですよね。


私は自分の肌を愛せない。

これは今に始まったことじゃないけれど、最近意識し始めたことではあります。

私はずっと、「芋」と呼ばれる存在でした。
あ、実際に「芋」ってあだ名だったわけではないです。笑

高校生まで、化粧なんて七五三くらいでしたしなかったし、持っている化粧品といえば、友達が誕生日プレゼントにくれたCANMAKEのリップクリームだけ。
大学に入ってからも化粧にこだわらず、というかこだわり方を知らず、ヒリヒリしたくないから日焼け止めだけ塗って登校。
だんだん化粧とか美容が気になり始めるも、芋感は抜けず。
大学4年の春、授業で一緒のクラスになった1年生から「あの!1年生ですか!?」と言われる、垢ぬけなさっぷり。
「芋」と実際に呼ばれていたわけではないし、「芋」っていうカテゴリを受け入れているわけでもないけど、そういう雰囲気ではありました…。

でも、情報収集をしたり美人な友人たちとたくさん話したりしているうちに、ある程度は美容に興味をもって、自分が買えるものを買ってみたり、似合うコスメをもらったりして。
だいぶ「芋」感がましにはなっていきました。


そんな最中に、2つの推しアイテムと出会って、アイテム選びの重要性を実感することになりました。
次回ちゃんと紹介するけど、すごく効果を実感したし、

「すご!」って思ったものを共有したい衝動に駆られました。


「芋」だった私が、「土を払った芋」くらいになって、そこから「コンビニの干し芋」くらいになれたのかなと思わせてくれた経験たち。


「かわいいの基準はだれが決めたのか」
「なぜ私は自分の肌を愛せないのか」
「自分の心が動かされた商品」

そういった疑問や発見、感動を共有できたら嬉しいです。


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