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不安を怖れ、「死」について考えるのはとても贅沢なこと
東京の街はパンデミックらしい
飲食業界も苦戦を強いられている
品川で久しぶりに友人と会う約束をした
素敵なお店を予約した
友人を待っている間、店内にはほとんど人がいなくて
このまま誰も来なかったらさみしいなあと思っていたが、徐々にお客さんが増えてきた
大切な人と食事や会話を楽しんでいる人たちを眺めていたら幸せな気持ちになった
私が知っている、通常であり日常
こんなにも今この瞬間がありがたい
「安心するね」
「嬉しいね」
友人はいつも明るく軽やかだ
そして深い話ができる存在
お互いいろんなことを貪欲に経験して見えてきたことがたくさんある
それをシェアするのが楽しくて仕方ない
私は死ぬのは怖くないの
スパークリングを片手に友人が言った
そして続けた
「死」ってこの世に肉体がなくなるだけ
こうやっておしゃべりしたりハグしたりはできなくなるけど、死んだらいつでも一緒に居られるのだから嬉しいよね
そういえば私には父方の祖父が守護霊となっていつもそばにいてくれていると言われたことがあった
色々あるにせよ自分じゃどうしようもないトラブルには巻き込まれたことはないし、時々体がとても温かくなることがあるのはおじいちゃんのおかげなのかもしれない
「死」についてほとんど意識したことがなかった
元旦那からのいざこざで体調を崩した時、東日本大震災の時、生命保険の契約の時、くらいだろうか
そうか
いろんなことをあれこれどうしようと悩むのは生きている前提の話なんだ
「不安」を感じたり「死」について考えるってとってもとっても贅沢なことだ
それを世界中の人と共有できる「今」って
とんでもなくすごいことなのではないだろうか
だって世界をひとつに、なんて言うけど
こんなことでもなければ成り立たない
歴史がそれを証明してくれているもの
「死」を意識すると「生」も意識する
子を産んでみたり病気をしてみたりセックスしてみたり
メイクをしたり髪を伸ばしたり
電車やバスに乗って目的地まで行くことも
温かいお風呂に入ることも
買い占めしたり煽るような報道もそうかも
生きてる、生きてる
もしかしたらこうやって東京で食事をするのはしばらくできないかもしれないね
これからも前例のない想定外のことが起こるかも
それでも私は、この肉体を借りて表情筋を借りて、笑って生きていくんだ
友人のおかげで死んだ後も娘や好きな人たちに寄り添うのが楽しみになったけど、私は私としてできることやりたいことがまだまだたくさんあるもの
友人と笑顔で別れてから彼のことが恋しくなった
今日は同僚の異動で急遽送別会だと言っていた
きっともうそろそろお開きの時間なはず
「これから少しだけ会えない?」
そんなメッセージを送ってみる
「今から?俺、酔っ払いだから帰りは車で送っていけないけどいい?」
会いたい人にはこんな時でもちゃんと会える
会いたいと伝えて、電車に乗って、会いに行く
彼の手の体温が心地よい
なんて贅沢なんだろう
私は、生きている
「書く」ことで食べていけるひとになるのが目標です♡ここにたどり着いたのも何かのご縁。わちゃわちゃしましょー!!!