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朝の街を歩くのが日々の習慣になった。

僕は50歳無職。
WEBマーケティングを学ぶために、
職業訓練学校に行っている。

厳密にいうと、今はオンライン授業期間で、
自宅で学ばせてもらっている。

通学時間がなくなった分、
朝の時間に余裕が出来たので、
雨の日以外は地元の氏神様へお参りに行っている。

余談だが、氏神様のエリア内で、うちは最も離れた場所にある。
往復で徒歩1時間弱はかかる。
なんなら、違うエリアの神社の方が近い。

当初の目的は、
カロリー消費だった。
が、
すごーく、ものすごく、
それ以外の恩恵にあずかっている。

一つ目。
歩くことにより、脳が活性化され、
発想が生まれる。

例えば、Noteのネタに全然困らない。
色々なアイデアも生まれる。

今日はネタを三つ思いついた。

無知の知 の、ソクラテスは、
生涯、著を書かなかったらしいが、
その理由はwikipediaにゆずり

ソクラテスは歩きながら、
言葉を紡ぎ、話す内容を弟子が遺した。
と聞いた事がある。

もしかしたら、歩きながら話したのは、
僕と同じ理由だったのかもしれない。
知らんけど。

歩くことにより、言葉が不思議とまとまる。
でも、スマホ片手に書きながら歩けないから、
とりあえずタイトルだけ書き残す。

でも、後で本文を書こうとすると、
なぜかつまづいてしまう。
僕の場合、座ると上手くいかない。

なぜだ。(泣)


二つ目。
朝は、優しさに溢れている。

通勤・通学時では、その反対しか経験したことが無い。
やはり満員電車が全ての元凶だと思っている。
あーやだやだ。そんな風に考える自分にも。


初めて朝にお参りした時、
境内を掃き清めている人から、
「おはようございます。」
と挨拶をされた。

驚いてとっさに返せず、
思わずお辞儀しただけになってしまった。
何度も訪れているが、いつも午後だったので、
挨拶されることが無かった。

今は、むしろこちらから挨拶している。

今日、神社に七夕の笹ができていた。
皆、短冊に願いを書いて付けていた。

僕にも、ぜひどうぞ。と勧められた。
短冊っていつ以来だろう。

せっかくなので、家で書こうと思って、
短冊だけもらって、持って帰ってきた。
正直に言うと、なんて書きたいか分からなかった。
明日また訪れた時に、付けたいと思う。

行きにはいないが、帰りの時間帯になると、
ボランティアの方が、交差点で旗を持って立っている。

毎朝いる初老の男性が、色んな方と顔見知りで、
必ず帽子を取って挨拶をされている。

通勤の方、ご近所らしき方、
小学校低学年の生徒にまで、
分け隔てなく、帽子を取って挨拶。

今日の子供には、
「暑くなるから体調気を付けてね」
と声掛けされていた。
素晴らしい方だ。

当然、僕にも挨拶してくれた。
恐れ多いことだ。

飲食業が生業だったので、
朝早い時間帯の街に、免疫がない。
新しい発見だらけだ。

朝は街に優しさがあふれている。
そんな気を感じる。


やがて、秋に学校は終わり、また働き始めると、
余裕がなくなるかもしれないが、
こうして経験できたことを、活かしていきたいと思う。

日々是好日。

感謝しかない。

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