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"できない事"が引き出しになるために、【自己肯定感は必要】というお話。

僕は現在、職業訓練校でWEB関連・WEBマーケティングを学んでいる。

先日も書いたのだが、職業訓練校では現在、
ロジカルシンキングを学んでいる。

例えば一つのテーマを、それぞれで*ミーシーに則って、
ドリルダウンしていくワークを行うのだが、

*=MECE(ミーシー) ロジカルシンキング上の概念で、
もれなく、ダブりなく整理する。という意味。

そのテーマの、一つ目の階層の「粒度」を合わせる。
という部分で、つまづいたり苦手な方がいる。

そもそもどんな内容で分けるのか?
という、他の受講生のそれぞれのアプローチを見て、
そんなの思いつかない、と凹んでいるのだ。

実は僕も初日にそれを感じて凹んだのだが、
すぐに振り返りで考え方もまとめられて、
慣れだ。と、自分の脳に理解させた。

翌日のワークのテーマでは、簡単に粒度を合わせて、
ドリルダウンしていく事ができた。
なぜなら、それぞれ僕が経験してきた業界だったからだ。

その日の振り返りの時間で、
ある人らが前述の通り、とても苦手だ。
と、昨日の僕と同じように凹んでいた。

実際もし自分が経験してない業界であったり、
そもそもの語彙力がないと確かに難しいと思う。

けれど、今日経験できたことや、
その他の人が使用した粒度の知見は、
必ず今後に生きていくと思う。

このワークのキモは、前述の通り、
間違いなく「慣れ」だ。

そういった引き出しを得れた事が収穫であり、
凹むのでは無く前向きに捉えた方が良い旨を、
その人達に伝えてみたが、表情は暗いままだった。


閑話休題。
言葉の選択、そこから関連する事柄など、
広く知識が必要だったりする場合。

そのポイントの一つは活字に慣れることだったりすると思うのだが、
そう言った意味でこのnoteというコミュニティの意義は大きい。

多種多様な業界の言葉に慣れ親しむ事ができる。
この場所から得れること。
そして、広く興味を持つことは、大事だと思う。

人生経験とは別の、インスタントなインプットができる。と言う意味において。


当然だが年齢とともに引き出しは増えていく。
けれども、その引き出しの中の密度は、
知見・経験共に、それぞれにどれだけ考えたか?
によって変わる。

その事柄について思い悩めば悩むほど、
引き出しの中身はギッチリ詰まっていく。

逆になるほどねー。と軽く流せば、
その引き出しの中身はカラカラだ。

興味の幅が広く、その都度考えている人は、
引き出しの数と中身が豊かになっていくという事だ。

逆を言えば、苦手だと思った場合、
実は引き出しの密度を増やすチャンスに他ならない。
凹んでいると勿体無いというロジックになる。


興味を得るには、知的探究心が欠かせない。
その知的探究心は何から生まれるかと言えば、
僕は【自己肯定感】によると思っている。

吾唯(われただ)足(た)るを知る。
という有名な言葉がある。

「吾唯足知」は、簡単に言ってしまえば「満足する気持ちを持ちなさい」との意味であり、「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は、心はいつも乱れている」との釈迦が説かれた教え。

文面からすると、逆説的に聞こえるかもしれないが、
僕は満足する気持ち=自己肯定感と位置付けている。

自己肯定感を高めるには、それぞれのアプローチが必要だろうと思う。
それは日々の行動など、自分なりの術を見つけなければいけない。

自己肯定感がある人は、
更なる自己成長に向けて進むことが出来る。
これが僕なりの結論だ。

長々と書いたが、冒頭のロジカルシンキングならぬ、
直観的思考(ラテラルシンキングというらしい)
の考察でした。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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