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矢野和也「出会う方のきっかけに」

出会う方のきっかけに

医療・健康予防の専門職に革新的リソースを供給し「健康」 というキーワードで世界を1つにすることを掲げているのがHIPs株式会社です。HIPs[ヒップス]はHealth&care Innovation Partnersの略称で、医療・予防健康業界における 大殿筋 (ヒップ) のような存在になるという意志が込められています。様々な専門職が集まり、知識・技術・ノウハウを融合していくことで、医療・介護業界に新たな「上昇気流/UPDRAFT」が作り出せるという考えの元で、HIPsでは優秀で個性あるスペシャリストが日々活動しています。そんなHIPsのメンバーであり、創業当初からHIPsの成長を見て来られた矢野和也さんにお話を伺いました。

1. 矢野和也さんのプロフィール
TPL認定セラピスト 理学療法士として回復期病院にて3年、急性期病院にて5年半の経験をする。病院時代には仕事におけるキャリアの未来が見えず、退院後の患者様、医療の対象だけではなく予防・不定愁訴などの分野に対しても関われる力をつけたいという思いも重なり、介護保険、自費リハビリに関われる会社へ転職する。 意気込んで決意し転職をしたが、どこかモヤモヤがはれず、社外含めいろんな事に手を出しガムシャラに動いていた。 その会社時代に自身にとって辛い出来事を経験できた事で、自分自身のキャリアについて真剣に向き合うきっかけとなり、人の「働く」を支援したいと感じるようになる。

そこで キャリアとは? 自分自身の現状の延長線上では想像できない選択肢とは? 決断をすることの3つに向き合い、HIPsの前身である株式会社ALTURAへの転職を決意する。 そこでは理学療法士という肩書きではなく仕事をしている感覚が自分自身で腑に落ちた。 教育スクールの運営、自費での施術、部門運営マネジメント新規プロジェクトの推進など様々な業務を経験してきた。 その後、医療介護特化の人事システムを用いて病院・介護施設の人事のサポートをしながら、フリーランスとしてHIPsでの自費治療・キャリアコンサルタント業務、医療介護職のリーダー育成プログラムの運営などを経験してきました。 2023年株式会社Rewardingを設立し、同年6月就労継続支援B型事業所リハスワーク摂津を開設した。

2.理学療法士を目指したきっかけ
矢野さん:ずっと僕、サッカーやってたんですね。中学校から高校2年生まで担任の先生に学校の先生向いてるって言われてたので、漠然と学校の先生になって、部活動の指導をしたいなみたいに思っていました。高二の時に怪我をして、リハビリを受けたんですけど、初めてその時に理学療法士仕事を知ったのがきっかけです。
吉松:そうなんですね。理学療法士のお仕事のどこに魅力や興味を感じられたのですか? 矢野さん:その時に診てくれた先生が患者さんに人気で慕われてる、感謝されてるっていうのを見て、こんな仕事あるんやと思い興味を持ちました。後は、自分がスポーツやってたから、体に対して興味があったからですね。

スイッチの入った大学時代の実習
矢野さん:大学時代に実習があるんですが、それとは別に1年生の終わりに自身でお願いして見学実習をさせていただいた際にリハビリに対して持っていたイメージがかなり変わりました。
吉松:どう変わられたのですか?
矢野さん:高校時代のイメージがあって最初はスポーツなどで怪我した人をリハビリしたいなぐらいに思ってたんですよね。でも、リハビリして、生死に関わるぐらいの人をリハビリすることもあって、関わってる人が亡くなることもあるんだなってのが分かって、これは自分には重い仕事だと感じて、自分には難しいんじゃないかと思い辞めようかなと考えることもありました。
吉松:最初感じられてたイメージとは違ったんですね。
矢野さん:そうですね。実際、リハビリの対象ってすごく広いっていうのが分かりました。でもその時は大学1年生でまだまだ知識も経験もなく何もできなかったんですね。でもしっかり話を聞いて、その人を知ろうというか、なんかできること全力でやってみようと思ってやってみたらすごく感謝されたことがありました。その時に知識もそうですし、しっかりと力をつけられるようもう少し頑張ってみようと思いました。

病院勤務時代  技術への葛藤
吉松:大学を出られて就職された病院はどんな所だったのですか?
矢野さん:ちょうどリハビリテーション病院という回復期の立ち上げのタイミングの病院で入職をさせていただき、バックグラウンドの違う先輩方に色々教えていただき良い経験をさせていただき感謝しています。
吉松:その当時大変だったこと、嬉しかったことなど印象に残っているエピソードはありますか?
矢野さん:患者さんには各々担当がつくのですが、その時に先輩との実力の差に悩みました。例えば、 自分だったら何とか立位をとっていただくので精一杯な患者さんに対して、 先輩はと歩かせる事ができていました。その時に悔しいとか申し訳無いっていう気持ち、もう出来る限りの事をやるしかないと思って、必死で勉強して技術を身につける努力をしましたね。

当時の印象に残っているエピソード 吉松:病院で働かれていた時に印象に残った先生や、この方すごいなと感じる方はいましたか?

矢野さん:1人かっこいいなと思った方がいました。吉松:その方は理学療法士の方ですか?
矢野さん:ご自身で独立されている理学療法士の方でした。当時は理学療法士として独立する人が今よりも少なかったのですが、色んな病院、学校で教えたり、スポーツの分野での活躍、海外での経験など多くの経歴がある方でした。豊富な経験があるのに、良い意味でゆるさを感じる方で、その方が体系づけてくださった部分を全体的に学んでいきたいと思いました。 あとは同年代で当時会って凄いなと感じたのがヒデさんでした。ヒデさんの事は割愛します。(笑)

4.HIPsについて 
吉松:矢野さんがHIPs(前A L T U R A)に加盟(入職)した理由はなんですか?
矢野さん:ちょうど転職を考えていたタイミングで選択肢が3つあったのですが、 ①数年後の未来が良い意味で想像できなかった ②誰と働くか(どんな環境で働くか?) ③自分自身の今までの選択基準を変える決断をした の3つが主な理由でA L T U R Aを選択しました。


5.起業、就労支援施設の立ち上げ理由 吉松:就労支援の立ち上げは今まで関わられていた分野とは違うと思うのですが、どうして始めようと思ったのですか? 矢野さん:もともと起業や独立などは考えた事はありませんでした。 ただ自分自身大事にしている事として出会った人に対して、変化のきっかけになりたいっていう気持ちがずっとあったんですよね。 自分自身がHips株式会社の創業者のヒデさんとの出会い、A L T U R Aの環境のおかげでOSが変わったなと感じており、個人ではなく会社や事業として変化のきっかけを作っていきたいと思ったのが大きいです。個人としては変化のきっかけとなる手段がリハビリ、キャリアコンティング、人を紹介する、人事支援など幅が広がってきた感覚でした。 そこで改めて自分自身の体験やキャリアの棚卸しをした際に、働きづらさを抱える方々の変化のきっかけとなるという思いを持って起業を決断しました。働きづらさを抱える方々の変化のきっかけになろうと自分自身医療介護の業界で働いていた時に思いを持って働いていましたが、自分自身のキャリアに不安があり、転職後のキャリアについて見つめ直す機会がありました。その後、医療介護福祉業界で働く方々、組織に対して支援させていただく経験をしました。医療介護福祉の業界で働く方々は、凄く想いのある人が多く、仕事も社会になくてはならない素晴らしい仕事だと思います。ただその反面いろんな影響はあると思いますが、働き甲斐がない、キャリアに悩んでいる人が多いのも感じました。医療介護福祉業界で働く方々は何らかの形で対象者の方に対して支援をしていく方々だと思います。その方々が働き甲斐を持ているかはけっこう重要だと感じてます。 それらを踏まえ ・働き甲斐の前の段階の働く(就労)においての課題(利用者さん) ・現場で支援する医療介護福祉業界で働く方の働き甲斐(スタッフ) の2つを考え、事業として就労継続支援B型事業を開始する事にしました。

6.今後について
吉松:矢野さんの個人として、会社としてのこれからの目標はありますか?
矢野さん:個人としては出会った方々の変化のきっかけになることは変わりません。 そこを自社の社員や外部のステークホルダーの方に対して環境作りや、関わりを通して体現しています。 会社としては、働きづらさを抱える方のきっかけになり、現場にて一つでも多くのやりがい・働き甲斐を創出する事で、微力ながら誰もが輝ける、活躍できる社会を実現していきます。 その結果として従業員の方が、事業に挑戦できる環境、その事業が会社となり、新しい事業を支援できる状態にしたいです。会社を退職した後も事業を通して関わっていたり、独立できるのにあえて一緒にやっているという状況を作っていきたいです。

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