想像力がなさすぎて、他人の痛みを理解できない人がいる

人間はそれぞれが違う存在で、それぞれが不完全な存在です。完璧ではない私達は、自分と違う他人のことを完璧に理解することはできません。私達は他人が感じていることを、まったく同じように感じることはできません。「くすぐったいんです」と言われても、相手とまったく同じ「くすぐったさ」を感じることはできません。「嬉しいです」と言われても、相手とまったく同じ「嬉しさ」を感じることはできません。私達は他人が抱えている苦痛と、まったく同じ苦痛を抱えることはできません。「痛いんです」「苦しんです」と言われても、相手とまったく同じ「痛さ」と「苦しさ」を感じることはできません。

他人の感覚とまったく同じ感覚を経験することができない私達にできるのは、「これぐらい痛いんだろうな〜」「これぐらい苦しいんだろうな〜」と想像することです。自分が体験した苦痛の記憶と照らし合わせて、「きっとこれぐらいつらいに違いない」とイメージすることです。しかし、どれだけ正確に相手の苦痛を想像したとしても、相手とまったく同じ苦痛を感じることはできません。だから、基本的には、「そんなのつらいことじゃないよ」「そんなの苦しいことじゃないよ」と、相手の苦痛を否定することはできません。

苦しんでいる他人をバカにする人がいる

自分が感じている苦痛は、他人が感じることはできません。なので、自分が経験している苦痛は、他人と比較しても意味がありません。世の中には、「他人が感じている苦痛と、まったく同じ苦痛を自分は感じることはできない」ということを自覚できていない人がいます。あるいは、自分の想像力を過信している人がいます。

そのような人は、相手とまったく同じ苦痛を感じていないのに、「それはそんなにつらいことじゃないよ」「それはそんなに苦しいことじゃないよ」と言うことがあります。「それをつらいと感じるのは、お前が弱いからだ」「そんなことで苦しんでいるのは、あなたが弱いからですよ」と攻撃してくることがあります。そして、そのような人は、「俺はそんなことで弱音を吐かないから」「どうだ、俺は強いだろ」とアピールして優越感を感じようとします。「あなたは弱い人間ですよ」と執拗に攻撃することで、「この人より私のほうがマシだ」と安心しようとします。

苦痛を感じる自分をダメだと思う必要はない

私達は、他人とまったく同じ苦痛を感じることはできません。なので、他人が苦しんでいるときは、「自分にはよく分からないけど、何かしら苦しむ理由があるんだろうな」と考えるのが自然です。しかし、世の中には、自分では感じることができない他人の苦痛を軽視する人がいます。そのような人は、「お前の苦しみはたいしたことがない」「俺のほうが苦しい思いをしているんだ」「だから、もっと俺に気を使え」という態度をとってきます。

たとえば私の場合、私が失恋をして苦しんでいるとき、失恋をして苦しい思いをしたことがない人に、「そんなことで苦しんでんじゃないよ」「そんなのたいしたことじゃないよ」「世の中には、もっと大変なことがあるんだよ」と言われたことがあります。しかし、その後その人が初めて失恋をしたとき、「失恋ってこんなにつらいんだ」「あのときお前はこんなに苦しい思いをしていたんだ」「あのとき冷たい態度をとってごめん」と、私に謝ってきました。

ということで、他人の苦痛を軽視する人にバカにされたり見下されたりしても、自分を弱いとかダメだとか思わないように気をつけてほしいと思います。あなたの抱えている苦痛は、あなたにしか感じることはできません。なので、「うつになるのは、怠けているからだよ」「自信がないのは、努力をしていないからだよ」「不安になるのは、弱いからだよ」などと言われたときは、「この人は何も分かっていないくせに、何を言っているんだ」「想像力がないから、人の痛みがまったく理解できないんだな」「こんな人の言うことを聞くのは時間の無駄だ」と考えて、自分の心を守っていきましょう。

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