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キャリラボ:「何でもできる」っていいこと?

「みずゆかさんは何でもできますよね。」

ここ半年、かなりの頻度で言われた言葉だ。

社内で業種を兼務している珍しいタイプのためか、そう見えるんだと思う。
ワークショップしながら記事を書き、制作物のディレクションをしながら交流会に行き、セミナー企画をしながら広告レポートを作る。

けど、このままでいいのだろうか。

「何でもできますよね」は、結局何者にもなれないのではないか?
というか、今言われている何でもできるは
降ってきている仕事をこなしているだけではないか?と疑問を思うようになったのだ。

業務がオーバーフロー気味の今日この頃、そんなことを思うようになった。

会社として求める人材×自分がありたい姿

昔からアスリートや職人、○○士に憧れを持っていた。
1つのことを極めている人は凄い。
極めたからこそ、後進の育成もできるんだろう。

それに対して、今の私はどうだろう。
企画職は9年目になり、それなりにベテランになってきたけど
それだけでいいのだろうか。ずっとそれでいいのかな。

一方、会社として自分はどうあれば良いのだろう。
たぶん、企画を立てて仕事を取ってくることを求められているんだろうな、ということはわかっている。

しかし、自分がお膳立てばかりするのも物足りなくなってきたのだ。

そこで気付いたのが、「呼ばれる側になりたい」「そこから仕事を取ってきたい」という気持ちだった。

今までの私は、企画を立て、それに適した講師なりモデレーターなりをお呼びする方だった。それはそれで面白かった。自分の立てた企画で参加いただいた方が満足して帰っていかれる姿を見るのが好きだった。裏方タイプなんだと思う。

一方、プライベートでは人前で話すことや、ワークをリードすること、ファシリテーションをすることも多かった。もともとこういうことは得意かつ好きなことだった。

先日、上司に「ファシリテーション得意なんだろうと思っていたけど、ここまでできるとは思わなかった」とコメントをもらったので、あながち独りよがりな評価でもなさそう。

「裏も表もできるようになれば、自分の強みも活かせてやりたいこともできて、仕事もとってこれるんじゃないかな。」

「あの先輩(カリスマ系社員)みたいに自分の個を売り出していけば、もっとスキルも発信力もつくんじゃないかな、それが仕事に繋がり、会社への貢献にもなるのでは」

と思ったときに、未来が開けた気がした。
どうせ「何でもできますよね」なら、自分が選んだ「何でも」がいい。
そしてそれで会社に貢献したい。

発信すること

……ということを、思い切って人事に言ってみた。
すると答えは「大歓迎」だった。

こうなると燃えてくる。
勉強して、スキルつけて、実践して、経験詰むぞ、と。
漠然と「ワークショップデザインの勉強したいな~」と思っていたものが
「ワークショップデザインの仕事で売り上げに繋げる」という明確な目標になるし、
興味を持ってもらうためのPR活動、という明確な目標があれば
何をやればいいかも見えてくる。

あとはやるだけ、になる。

「何でもできる」にコンプレックスを持っていた私だけど、
それは「人から来たもの」での「何でも」だったからなのだろう。

自分で選んだ「何でも」であれば、きっとキャリアにもつながるはず。
専門性も出てくるはず。

今年度も頑張ろう。
そう思った早朝なのでした。







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