楽しみにしている人がいると心強い

まいにち飲んでみようかと考えて養命酒を1本買った。最初のうちは毎晩しっかり飲んでいたのだけど、取り組みとしての鮮度が低まった頃合いで飲み忘れることが増え、そのうち飲まなくなって瓶だけが台所に飾られるようなありさまになった。

このままではと気持ちを入れ替え最後まで飲み切ったのがつい最近、瓶とキャップは資源ごみに出して、でも計量用のカップだけは捨てなかった。

飲むときに適量をはかる小さな透明のプラスチックのカップは、底に鳳凰らしき柄がエンボス加工してある。なんかちょっと良い物で、人情的に捨てられない。

とはいえとっておいてもなあ、どうしようもないなあと、思っていたらこれが大きな間違いで、起き抜けに口をゆすぐのにぴったりなのだった。入る容量は30ml。少ない。でも使ってみるとしっかり足りる。

口をゆすぐのにそんなにたくさん水っていらないんだな~と、養命酒を飲み切ることにより知る、人生のかがやきとはこういうことではないか。

今日も口をゆすいでカップの便利さにしびれ、朝食の用意をしていると息子が起きてきた。「たやすいことを『赤子の手をひねる』というけれど、道義的にも感情的にもむしろそれはいちばん難しいことなのではないか」と言う。

おはよう、そして、ほんとうにそうだね。

「赤子の手をひねる」という慣用句を見るごとに、そんなことはできないなと思う息子を想像して私は共鳴した。

ふたり食卓につきもさもさ食パンを食べた。ラジオでは昨日Twitterのタイムラインでざわついていたニュースをべつの観点で論じており、聴く。

1月から、食卓の近くとトイレに日毎に違うイラストの載った日めくりカレンダーを導入し、しかしふしぎとトイレの方をめくり忘れてしまうのだった。

息子も同じで、かける場所がちょっと見づらいんじゃないかという。サイズが小さいこともあってだから見落としてしまう。

そろそろ起きなされと声をかけた娘も起きてきて、この人だけがトイレの日めくりカレンダーを忘れずめくっている。

あれ、場所がちょっと悪いよねっていま話してたんだというと、娘は「え、私は忘れないよ、だって楽しみにしてるもん」と言うから頼もしい。

他者と接するとき、共有する未来を楽しみにしている人がいるのがいちばん心強い。家のことにポジティブな感情を持っているのもすごくうれしくて、つい感激した。

子らはそれぞれに学校に散り、私も出社の日。

ほがらかな上司や同僚たちと話して仕事をしてどんどん元気になった。

家で一人で仕事を進めるのは集中するし作業もはかどるけど、知らないうちに不安な、大丈夫ではない状態になりやすいなと思う。

家を出て誰かと対すると、どんな状態であってもある程度は「大丈夫な自分」を相手の前に表出させる。

すると、相手の手前便宜的に表出させただけの本来空虚なはずの「大丈夫な自分」が、相手たちに認められ認識され、それによって自分が本当に大丈夫な自分になっていく、そういう感覚がある。

元気になってよっしゃよっしゃと帰宅、家に帰るか帰らないかのタイミングで、スマホに「ご卒業おめでとうございます」と書かれたメールが届いた。

春に小学校を卒業する娘が登録している、登下校時の校門通過を知らせるサービスの運営会社からだ。子どものランドセルにレンタルの電子タグを入れておくことで利用できるやつ。

登下校時の校門通過おしらせサービスは3月末で自動解約になります、とメールは続いていた。

毎朝、毎夕、娘が学校に入った時間と出た時間を教えてくれるのは安心でありがたかった。そうか、あのメールがもう春からは来ないのだ。

これほど目に見えて子どもの時間が知り得ないものにきっぱり移行することもない。

メールには続けて「お貸ししていた電子タグは返却ください。返却いただけない場合は2000円申し受けます」と書いてあり、サービスというものが情緒だけではいられないことにむしろ風情を感じる。

部屋に入るとその娘はテレビを観ていた。私に気づくとテレビを指して「鯉って胃がないんだって!」と教えてくれた。

夜はすき焼き味で肉と野菜を煮て卵でとじるやつ。みんなで集まり食べた。私と息子は香辛料が好きだから唐辛子とか山椒を入れる。娘はそういうのが苦手で入れない。

いちばん年が若いから、子どもの口だからそうなのかと思っていたけど、何年経っても娘がこちら側に加わる気配はなく、単純にそういう好みなんだなと最近になってやっとわかってきた。

先月息子が友達の家からもらってきた木の根ごとぬいた枯木、息子がインテリアにすべくきれいに洗ったこともあってしばらく飾っていたのだけど、掃除や洗濯をするときにやはりどうにもじゃまなのだった。

ついにこれどうしよう……との話を出した。息子もそれほど思い入れはないようだ。じゃあ記念に写真くらい撮ってゴミの日に捨ててしまおうか。

息子は、枯木なのだから緑道や公園に放置したらそのうち肥料にならないかと言うが、まさかそういうわけにはいかないでしょう。

小芝居で「あっ! あの人! 不法投棄です!」と私が言うと、瞬間息子が「ちがいまーす!」と返して、その力強さにみんなで笑う。

なんとなく捨てられなくなって、ベランダの隅に立てた。

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