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愛とは愛のことではないのではないでしょうか。 トークイベント「卵焼きから始まる哲学」で聞いてもいいですか。

「言語」「心」「行為」の各概念を手掛かりに、現代の哲学・倫理学を研究する古田徹也さん。今月、新しいご本『このゲームにはゴールがない』(筑摩書房)を出されます。

ご縁があって、刊行記念のトークイベントに出させてもらうことになりました。そんなことある???

ふるえる手で、刊行の10/15に先んじていただいた『このゲームにはゴールがない』を拝読しました。懐疑論を手掛かりにして、「ひとの心」というものの本質的な特徴をつかもうという本です。

哲学の本だから、「これは……やってるな!!!」と座りなおして身構える難しい部分もあるのですが、おもしろいから読める、読み進む、そうして衝撃の見解をいくつも知りました。

いきおい、イベントでお聞ききしたいことがもりだくさんになってしまったのでした。ここでイベントの予告がてら、古田さんにお送りした質問案をご紹介します。


・好きな食べ物と愛について懐疑しています

『このゲームにはゴールがない』は懐疑論を手がかりにしたご本でした。
読みながら、日ごろ自分が何について懐疑的になるかと考えました。

(1)好きな食べ物とは好きな食べ物ではないのではないか
たとえば昭和のアイドルが言う「好きな食べ物はいちごです」のような、キャラクターづくりのための発言はもともと疑わしいですが、それだけではなく、意図のないところにも「宣言のための宣言」はあるのではと思っていました。

(2)愛とは愛のことではないのではないか
概念的で、かつ、長らく表現やコミュニケーションの場においていわゆる「こすられた」状態になった「愛」のような言葉は、その言葉の本来の意味の状態でなくなっているように思います。
「愛をささやく」と書いたときにささやかれたものは愛のようには思えません。

(1)、(2)のような言葉の疑わしさも他者と取り交わす言語ゲーム(ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインの言う「言葉と、それが織り込まれた諸行為の全体」)のひとつだと思われますか。


・親は、子を解ることができないことを解れるでしょうか

子の思っていることを親である私は知り得ないという気持ちは、親の子離れの意思と意地のもとにあるように思います。

私は子らのすべてを把握できないし、把握すべきでもないと自らに言い聞かせるような。

しかしそれは心のどこかで、子どものことを私は知っているはずだし、分かっているべきだと考えているからこそ反動的にそう感じるようにも思います。

ご本の冒頭にはこうありました。「娘が卵焼きの味について本音を隠したと気づいた後、彼女は私にとって遠い存在になり、それによって、むしろ以前よりも近い存在になった」

卵焼きを通じ、古田さんは本音を隠したお嬢さんに対して、他者として受け入れる入り口に立った、と書かれていました。

他者としての親子関係をどう思われますか。親は、子を解ることができないことを解れるでしょうか。


・「このゲーム」は興奮するものなのでしょうか

ご本にあった「腹の内も、胸中も、内面も存在しない」、「心的なものは言語ゲームのうちに存在する」、というのがもう大衝撃でした。

この言語ゲームは、ゲームである以上、状態として好戦的(意欲的)なものっぽいな? と読んでいて感じました。

「我々はゲームをすることを求めている」ともご本にはありましたが、そこにはどういう動機があると思われますか。


・身体性を伴わない思考がフリーライドであることについて教えてください

懐疑論者の思考実験について、それは「リハーサル」で生活形式へのただ乗りだと書かれていた部分がありました。
身体性を伴わない思考がフリーライドである(ここ乱暴な解釈ですみません)ことについてもう少しお伺いしたいです!


さらに、過去の著作『言葉の魂の哲学』(この本も最高なんですよみなさん)に寄ったご質問ですが、もし時間があったら以下もお聞きしたいです。

・もう何を見ても高級食パン屋の名前のように思えてしまいます

いっとき、変わった名前の食パン屋が流行しあちこちにできました。

この影響でちょと気の利いた文字列がもはやすべてパン屋の名前みたいだと、いまや思えてしまいます(私の上司でデイリーポータルZの編集長の林雄司さんが『わたしを離さないで』ももうパン屋の名前だと思ってしまう、みたいなことを言っていてウワーとなりました)。

これはご本で取り上げられたゲシュタルト崩壊とはちょっと違いますが、あるきっかけで言葉の本質から手触りが離れていってしまうような感覚についてどう思われますか。


当日は話の流れでこういった話題がどれだけできるかは分からないのですが、私たちの日常(生半可な日常ではない、手加減なしのハードコアな、がちの日常を指してます、卵焼きを作って子どものお弁当に詰めるくらいの)と古田哲学をつなぐ会話ができたらいいなと思っています。

古田さんは、『このゲームにはゴールがない』に書かれたことを、哲学の世界だけのひみつにしたくないのだと思います。それで今回、私を呼んでくださったし、ご本にも読みやすい工夫が凝らされてます。

もしお時間のある方はぜひご参加ください。他者と心と言葉と世界の、分からなかったことが、ちょっと分かる、また、興味深くなってもっと分からなくなる、そんな会になる気がします。

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