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おばあちゃんが好きだった、かき氷屋さん (ゲムマ2024京都)


---ゲームマーケット2024 京都(京まふ)の出展に際して---

[御礼(関係者各位及びご来場者各位)]

ゲームマーケット2024京都 ブースOne Eater(ワンイーター)への出展を無事終えました。
拙作をご購入頂いた方、ブースにご来訪頂いた方、そしてゲームマーケット関係者各位に、深くお礼を申し上げます。有難うございました。

会場には来て頂いた中、入場制限や時間制限で入場できなかったという声を友人数名からも聞きました。遠路よりご足労頂いた中、お会いできなかった方には心からお詫び申し上げます。
初の京都&京まふとの同時開催もあって、運営の方も苦渋の中での大変な運営であったと心中を察します。
出展者、参加者、運営社が今後よりよい形でゲームマーケットとして発展することを、心より応援しております。

[お詫び(出展のご案内に際して)]

さて、こんな偉そうなことを書いておりますが、
当の私は、ゲームマーケット前日までSNSで何のご案内もできておりませんでした。(https://x.com/eater_one)
誠に申し訳ございませんでした。
ご心配やご不安をあたえた方もいらっしゃいました。深くお詫び申し上げます。
今後こうした折には、何か一報アナウンスだけでも行うよう、努めさせていただきます。今後とも何卒宜しくお願い致します。

そして、本Noteでは、以下にて今回に至る経緯と振り返りを記載させていただきます。
センシティブな内容はそれほど含まれませんが、センチメンタルな内容が含まれております。苦手な方は引き返していただくよう、お願いいたします。
(約3000文字)

---出展のご案内ができなかった経緯---

[少しだけ、昔話を]

本当は、結論から記載させていただきたいところですが、
少しだけ、昔話におつきあいください。


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私は幼少期、両親が共働きだったので、祖父母の家でかわいがってもらっていた。いわゆる、おじいちゃん、おばあちゃんっ子だった。

おじいちゃんには、近くの公園にたくさん遊びに連れて行ってもらった。
おばあちゃんは、とてもやさしくて、お昼に作ってくれる「たまご(卵)ご飯」が、とても美味しくかった。
好きな食べものは、いつも「おばあちゃんの卵ご飯!」と言っていた。卵とご飯をさっと炒めたもので、ご飯はチャーハンのようにパラパラだが、卵はトロっとしていて、めちゃくちゃ美味しい。
私の好きな料理は、今も「おばあちゃんの卵ご飯」だ。
母は、"私も料理頑張っていたのに!"と良く怒っているが、仕方がない。
おばあちゃんの料理が上手だったのはもちろんだが、いつも美味しそうに食べる私や(おばあちゃんの孫である)いとこ達の姿を、おばあちゃんは嬉しそうに眺めていた。
そして、私やいとこ達は、そんなおばあちゃんの笑顔が、とても大好きだった。
(おじいちゃんのことも大好きでした。祖父との思い出はこちらに)
(なお、私の母は料理が下手である。本人は下手だと認めていない。)

思い出の中には、いつも優しい笑顔で、おばあちゃんが微笑んでいる。
ドラえもん映画「おばあちゃんの思い出」(「Stand by me 2 ドラえもん」の方が伝わりやすいかもしれません)が、多くの人の心を響かせたように、きっと私のように"おばあちゃん子"で、おばあちゃんとの素敵な思い出を持つ人も多いであろう。
一方で、物心ついた時には祖父母がいなかった方も多くいらっしゃるであろう。
30年以上も、"おばあちゃん子"でいさせてくれた私は、幸せな孫だと思う。

おばあちゃんは京都出身で、戦争中に岐阜に移住して、子供や孫を育ててくれた。おばあちゃんとは、小さい頃からたびたび、京都に旅行に来た。
京都に来ると、おばあちゃんはいつも楽しそうに、昔の話をよくしてくれていた。
「あんたさぁ、あのかき氷屋さん行きたいなぁ。〇町の近くにあって。(祖母が)小さい頃に良く行ってなぁ。美味しくてなぁ。。。」と。
そんな話を、たくさんしてくれた。

私は愛知出身だが、大学や就職のライフイベントは全て京都を選択してきた。おばあちゃんのために選んだというつもりは全くない。
ただ、きっとおばあちゃんの京都に来た時の楽しそうな笑顔が、心のどこかにあったのではないであろうか。

大学生そして社会人になり、私が(今も)住む京都に遊びに来てくれると、おばあちゃんはいつも、自慢の孫だって喜んでくれた。
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[暦は秋になったのに、まだ暑い日のこと]

昔話が、長くなりました。
ここまで読んでいただくと、察していらっしゃると思いますが、
秋暑の候、祖母がなくなりました。94歳でした。

春先に入院して、少し覚束なさがあったものの。それは突然のことでした。
連絡を受けて愛知に帰った時、もう祖母と話すことはできませんでした。

あれほど心の温かかった祖母が、冷たい身体でした。

人の想いを想像するのは勝手なエゴかもしれませんが、祖母は、なくなる前に私と会えなかったことを、せめるような人ではない。
"忙しいとこ来てくれてありがとうなぁ。卵ご飯つくってあげよう。"と優しく、声をかけてくれるだろう。

30年以上、たくさん、"おばあちゃん子"させてもらった。こんなにありがたいことはない。でも、
ずっと、お別れするまで。いや、何ならそれからもずっと。
涙が途切れることはなかった。

母も、いとこも、私も、ずっと泣いていた。何日も泣き続けた。
こんなにも、家族から愛されるなんて。
自慢の祖母だ。


[ゲームマーケットの前の日に]

そして、ゲームマーケットの前の日。
自分のメンタル的な部分はもちろんですが、ゲームマーケットも出展すべきではないのではないか。
そう思いました。


主催者の方への連絡を考えながら、
私は京都に戻っていたので、
京都で「祖母が行きたがっていた、かき氷屋さん」を探してみました。

戦前の、祖母が幼い頃に「老夫婦が経営していたかき氷屋さん」。
町を歩きながらそれらしい場所と昔の京都の地図を見ながら、探しました。

もう、80年以上前のことです。残念ながら、それらしい店は見つかりませんでしたが、
祖母から聞いていた、祖母の生まれた町の思い出が、今私が見ている街並みと重なるものがあり、どこかさみしくなり、
「あぁ、おばあちゃんに、かき氷、食べさせてあげたかったな」
と思いを巡らせていました。

祖母への思いを巡らせ、やっぱりもうお店ないよなぁと思った時、ふと考えました。
「祖母は、かき氷を食べたかったのであろうか。」と。
もう答えはわからないが、きっと違うのではないか。

「祖母は、私に"自分(祖母)が食べて美味しかったかき氷を、私(孫)にも美味しさを味わってほしかった"のだ。」と
祖母が、かき氷を食べているところを一度も見たことがない。しかし、私がかき氷を喜んで食べている姿を、祖母は何度も見ている。
祖母は、何よりも、喜んでいるところを見るのが好きな人でした。

[ゲムマ京都 前夜]

私がボードゲームを作った理由もまた、
自分がボードゲームで味わった楽しさを、自分が作ったボードゲームで他の人にも楽しんでほしいから”でした。
『誰かに楽しんでほしい』それは偽善ではなく、『それが自分にとって楽しいから』という自己満足でしかありません。(詳細はボードゲームが与える人生の彩り より)

私がすることは、楽しむことだ。そう思って、
ゲームマーケットの前日の夜。
私は、出展することに決めました。

---ゲームマーケット2024 京都 出展 後記---

以上が出展の、その日までにいたる経緯ですが、これは都合の良い自己解釈でしかありません。

案内がなかったせいで買えなかったというお叱りがあれば、甘んじて受け入れます。自分への甘えでしかないので、叱咤激励いただければと思います。

そんな中でも、2日間で用意したボードゲームは想定以上に売れ、急遽ゲームマーケット2024東京分から用意して、Fake Stone 60部以上、One Eater 10部以上を販売することができました。
多くの方から「楽しそうなゲーム!」と言っていただき、実際に「楽しかった!」という声も多数いただきました。

心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

反省点はたくさんありますし、謝らなければならない人もいっぱいいます。

ただ、私は誰かと一緒に遊んで楽しんで喜びたいから。
だから、これからもボードゲームカフェに遊びに行きたいし、
マーダーミステリーやボードゲームも作りたいし、
もしよければ、一緒に遊んでいただければ嬉しい限りです。

最後に、私が今回のゲームマーケットに出展したのは、何より『京都開催』だからです。
私が好きな、そして祖母が愛した京都という地で出展できたことを、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。

One Eater

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