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バレンタインのミトン


#忘れられない恋物語

2022年の年が明けた。夢と希望と油鶏林の詰まった、我が相棒はついに、3桁センチメートルの大台に乗っていると判明し、その知らせをうけた妻の悲鳴が遠くキッチンで聴こえた。

恐れるな、生命の暗号が書き換えられたのだ。眠っていたDNAのスイッチが、まさに定められた時期にオンになっただけのこと。シャツを脱ぐだけで、小1と4年生の爆笑をさらい、筋トレ好きの高校生から、「俺が専属トレーナーになってやる」という真剣な申し出を受けるほどコミュ力を発揮しだす相棒を誇ってやるべきではないだろうか。「全てを感謝して受け入れるものは多くのものを与えられるであろう」アーメン。

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もらったチョコの数がモテ度のバロメーターだとしたら、人生最大のモテ期を小4で早々と迎えてしまった僕は、春になり、5年生になって転校してきた彼女に、一目惚れを、した。

びびっときた発言の松田聖子を僕は笑うことができない。

そういうことは、実際あるものだ。

そしてそれは、相当の大恋愛だった。人生の「心の中で呼んだ名前の回数多い女の子ランキング」では確実に首位をキープしている。愛してる、愛してる、いつまでも、君のことを。呼んでいる、呼んでいる、いつも君を、胸の中で。ティーンにもなる前の、そのぼくの全てだった。奥さんの名前もぶっちゃけ心の中であそこまで連呼していないかもしれない。この結婚生活16年を経てもなお。


1992年のバレンタイン。僕は生まれて初めてミトンという言葉を知った。こんな手袋似合うコートなんか持ってねぇよ。こちとら冬でも短パンなのに。でも、高級そうな、そのふかふかな毛並みとミトンという響きに僕は何やら予感した。一生を誓うくらいの情熱を。

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今も、当時も、何があったのか全くわからない。

ただ、その後、僕は完全にいなくなっていた。


彼女の中から。

別々の中学校に上がって、何度か見かけたことがある。陸上部で校外を走っている時にばったり通りすぎたことも。走るのをやめ、話しかける、久しぶり、元気?え、俺が見えてない?俺って死んだ?と一瞬錯覚するくらいの無視。目の前で声をかけてるのに全く見えていないかのように前をみて、歩き続ける。きっと彼女の中に僕は全くいなくなったのだ。

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それから何年も経ち、同窓会で彼女のことを知った。

葬式に出た担任の話では、死因の話は誰もしていなかった。              その不自然さから、おそらく自ら、選んだのだろう、と。


26歳の若さで。


いまでも、当時住んでいた街に行くと、人混みで彼女の面影をさがしてしまう。締め付けられる想い出を追ってしまうのだ。12歳の彼女の孤独を守ることもできなかったけど。

以来バレンタインにチョコを、もらうことは、あっても、ミトンの手袋はもらったことは、ない。



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