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人生のターニングポイント、10代の出会い編

-まえがき -
リアルVketで、
「私の人生のお師匠様だよ〜!」ってしろさんが私を紹介した時の周りの反応が、
「人生の師匠…??」
って感じでキョトンとしているのを見て私、笑ってしまいました。
そのことをふと思い出したのです。

何じゃそりゃって感じですよね!
私もそう思います!笑

なので、人生の師匠()らしく…たまにはリアル、私の若い頃の話も面白いかなと思い書いてみました。

人生で救われたと感じた時。

あの時、私が変わった…その選択、
人との出会い、
あなたは覚えていますか?
私は覚えています。
はるか昔の事は鮮明には覚えてないですけど…。
今回は10代の頃のターニングポイントと言いますか、人との出会いをいくつか紹介しようと思います。
(あまり恥ずかしくない範囲で…!)

ご興味があれば、どうぞ。

ほぼ実話だよ!

1. 中学生の頃、渡米した話

 いきなりな話ですが、実は私、中学生の頃から1人暮らしでした。親の仕事の影響とか色々でそうなりました。何かどっかのラノベみたいで笑っちゃいますけど…事実は小説よりも奇なりっていいますよね "笑
後述のサポートしてくれる人もいたしお金はあったので何も不自由ない生活でしたが、毎日コンビニ弁当と冷凍食品を食べるような生活を送っていました。毎夜ネットゲームに入り浸って、学校で寝る毎日。今思えば多分、人の温もりに飢えて寂しかったのだと思います。
そんな中、とある事情で渡米する機会がきました。とても不安だったけど、私は手を挙げて渡米する事になりました。California州のLos AngelesにあるSanta Monicaにしばらく住んでいて、そこでの生活は生涯忘れる事はないと思います。アメリカ本国の広さ、西部のノリと優しさに加え…1番はホストファミリーの皆さん。家族の温かみが骨身に染みました。父や母、弟と妹、同い年の姉…みんなが私にとても優しかったのです。
帰国後また1人に戻るのが怖くて、お別れの時は沢山泣きました。
幼いながら、家族は素晴らしいと感じました。
当時、人間は1人でも生きていけると思っていた私が家族を持ちたいと考えるようになったターニングポイントでした。
ちなみに私はその後、20代半ばの出産を機に同居するまで1人暮らしでした。
1人暮らし歴は約12年程になりました。
長かったなぁ…。

年明けも向こうで過ごしました。
どのくらい居たかな…結構長かったです!
ゴルフや卓球もしたし、ディズニーも行きました!

2. 第2の母、ネットと演劇の話

 身をもって経験したので分かりますが、10代前半からの1人暮らし、寮ではなく一軒家…正直、マトモに生きていくのは困難です。当然ながらサポートしてくれた方がいます。それが私の叔母と英語の先生でした。私にとって彼女たちは第二の母、第三の母。今思えば育ての親のようなものでした。叔母は宝塚ファンでヅカ板に張り付くヅカオタでした。私の家に来ては宝塚や劇団四季の演劇を流してポテチを食べるような人でした。「ネトゲばかりしないで観なさい」と、誘われた時は断らずに一緒に観てました。お陰様でちょっとだけ演劇が好きになり、今でもオペラとかコンサートとか観に行きます。とにかく良くも悪くも自分本位で面白い方でした。
彼女の発言、
「寝てるだけとはいえ、良く休まず学校に行くなぁ…大したものだ!私なら家で寝るけど!学校は行かなくても卒業できるんだぞ?知ってるか?」
「学生は生きている間にお金がかかるけど、社会人は生きているだけでお金が手に入る!」
今でも私の中で生きている迷言です。
まさに彼女らしい(笑)
私のベースを作ったのは叔母の影響でしょう。 

私があほの子になりたいと思うのは、
叔母の影響かもしれません。
決して、
叔母があほの子と言いたい訳ではありません!
叔母は素敵な方でした。

3. 第3の母、英語と恋愛の話

もう1人が英語の先生、近所に住んでいるお姉さんで私の家庭教師でした。当時は勉強する意味(拗らせてたので…笑)を見出せないでいたので、英語の勉強は受験勉強ではなく英語の絵本の和訳、作文でした。彼女はイギリスの友だちと文通をしていたり、旦那さんと良く海外旅行に行っていたのでその時のお土産話を聞かせてくれました。当時も今も英語は苦手ですが、何とか触っていけているのはこの時の経験だと思ってます。
そして彼女は私の恋愛の師でもあります。1人暮らしでお金もある裕福で不幸な子どもとして、私は周りで有名でした。良くも悪くも人が集まりました。当時から人間関係、主に恋愛事に悩まされていたのですが、ただのネトゲ廃人には何も出来ません。都度彼女からアドバイスを貰っていました。彼女のレッスンは夜でしたが、呼び出されて告白されたりその対応をしているとレッスンに間に合わず…時たま遅刻しては苦笑いされたのをよく覚えています。
夕飯をご馳走してくれて、帰りにはお花を貰ったり…庭に咲いていた月下美人を頂いたり。お陰様で少しお花にも詳しくなりました。
正しいお付き合いをしつつ今の家族が作れたのは、間違いなく彼女のおかげだったでしょう。
本当に感謝してもしきれません。

結婚した時、子どもができた時も皆で挨拶に伺いました。
今でも年賀状のやり取りとかしてます!
月下美人、綺麗で良い香りがしました。

4. 相方さんとの出会い

 10代で最も影響を与えた人は相方さんでした。
私と相方さんの出会いは高校2年の夏でした。課外授業の解剖実験で一緒の班になり、たまたま昇降口で再開したら家が近い事が分かり一緒に下校するようになり、登下校が毎日一緒になり…細かい話は恥ずかしいので省きます()が、山あり谷あり色々あり…今は一緒に暮らしています!
相方さんとの出会いなくして今の私はいません!!それまでは私、物凄く神経質な人で自分本位でした。この人とお付き合いしてなかったら、今もただのクズ人間だったと思います。
初めてのデートで行ったイタリアンレストランでの私の発言、今でも覚えています。

『デートでピザを頼むなんて…周りに飛び散って、しかも手掴み?汚いと思わないの??次からはパスタを頼みなさい。』

『私がデザートを頼んだのに、なぜあなたはデザートを頼まないの?私が食べる時あなたは何をするの??次からはデザートも頼みなさい。』

…マジでクズだ…よく付き合ってたね(笑)

私の相方さん、
びきたんさんアバター使いです。

10代はこんなところでしょうか。
気が向いたら加筆修正したいと思います!

ではまたね!

次は何書こうかなぁ…。

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