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三千世界への旅 縄文15 ガラパゴス的文明

渡来系文化に呑み込まれる


ガラパゴス的な環境のおかげで、縄文人は石器時代の価値観・世界観を残す独自の文化を維持し続けたとしたら、それはどう評価すべきでしょうか?

世界の進歩・発展から取り残され、時代遅れになってしまったということでしょうか?

たしかに、約3000年前に朝鮮半島から渡ってきた人々によって水田耕作がもたらされると、彼らの文化は九州から本州へと広がり、今の北海道・沖縄を除いて縄文時代は終わりを告げます。

前にも紹介したように、多くの縄文人が水田耕作を受け入れ、渡来した人々と混血して弥生人が生まれました。

イネの水田耕作によって、クリやドングリの採集・栽培より効率的に、多くのカロリーを摂取することが可能になったからだと考えられます。

縄文人が植物の実や野生動物、魚介など、環境に応じて多様な食料を獲得していたのに対して、弥生人はイネという単一の植物を集中的かつ効率的に育てることで食料の生産量を飛躍的に増加させます。

農耕は弥生人の生活行動を組織的にしました。

人口が増え、集落は拡大し、ムラからクニへと発展していきます。

こうして日本列島には多くの小国家が分立し、抗争するようになり、やがてこれらの小国家群を統合する国家が生まれました。

縄文人とその文化は、朝鮮半島からの渡来人とその文化に呑み込まれてしまったと言えるかもしれません。


縄文と弥生の優劣


しかし、だからと言って縄文文化より弥生文化の方が優れていたとは必ずしも言えない気がします。

弥生時代の社会は農耕によって組織化され、集落という生活の単位は、国家という行政の単位へと規模を拡大していきました。

それは経済史・政治史的には発展・進化なのかもしれませんが、人間の側から見たらどうでしょう?

農耕への移行、効率を追求するための組織化、集落から国家へという組織の拡大は、国家による支配や他国への侵略、国家間の戦争をもたらしました。

縄文時代の戦いによると見られる死者は、今のところ縄文晩期の例が1カ所発見されているだけだとのことですが、弥生時代以降はその数が激増しています。


支配や戦争がなかった時代


縄文時代には食料生産の組織的なシステムが発展しなかったため、極端な貧富の差や上下関係、国家による支配や税の徴収、領土をめぐる国家間の戦争などはなかったでしょう。

埋葬された縄文人には、副葬品が豪華な人とそうでない人という差が見られるようなので、必ずしも縄文時代はすべての人が平等だったわけではないようです。副葬品が豪華な人はおそらく自然の中に偏在する精霊と交信して、一般の人たちに伝える能力を持ったいわゆるシャーマン的なリーダーだったと考えられています。

このシャーマン的リーダーは、農耕が始まり、国家が誕生すると王になっていくのですが、狩猟採集社会のアニミズム的な価値観・世界観が色濃く残っていた縄文時代には、社会的な格差や権力者による支配は農耕社会に比べるとかなり小さかったと考えられます。

そこにはのちに農耕が人類にもたらすことになる、組織化・システム化による効率的拡大の追求、集落の規模拡大、国家と支配者層による支配、国家間の戦争はまだありません。

だとしたら、その点に関しては弥生時代以後より縄文時代の方がよかったと言えないでしょうか?


自然との融和


縄文人は自分たちと同様、自然のあらゆるものに宿る精霊・魂と付き合いながら、食料を自然界からいただき、信仰・祭礼によってそれにお返ししながら生きていました。

私たちの科学的・理性的・合理的な世界観・価値観からは、非現実的で非効率に見えるかもしれませんが、この非現実的で面倒な信仰によって、自然は尊いものになり、そのおかげで、農耕時代以後の人類が始める加速度的な経済・社会の拡大や天然資源の採掘、自然破壊といったことは無縁でした。

それは縄文人が未開人で、自然環境に影響を与えるほどのテクノロジーも経済・社会的な機構も持たなかったからだ見ることもできますが、彼らの中に「人間は自然界より上にいて、自然のあらゆるものを利用する権利がある」といった、社会・経済発展のために自然破壊を容認してしまう価値観が存在しなかったのも事実です。

彼らに生態系とかエコロジーといった概念はなかったかもしれませんが、私たち現代人が自然保護の必要を感じたり訴えたりしながら、近代の合理性や効率追求による社会・経済の拡大を止めず、日々膨大な資源を採掘・加工し、消費することで自然を破壊し、地球をどんどん住みにくくしているのを見ると、自然との共存を実行していた縄文人の価値観・世界観から学ぶことは少なからずあるのではないかという気がします。


魂のつながりで成り立つ社会


もうひとつ注目したいのは、縄文人の旧石器時代的なアニミズムによる価値観が、人と人の融和的なつながりを生み出し、維持するはたらきをしていたことです。

彼らはモノのやりとりという経済的な行為を、数理的・合理的な価値観ではなく、贈与と返礼という人と人の関係性の中でとらえていました。

すでに紹介したように、ただお互いに必要としているものを交換すれば、ただモノが移動するだけですが、贈与し、それに対する返礼の行為をすることで、人と人、集落と集落は精霊・魂の贈り合いができます。

精霊・魂の贈り合いにより、彼らの社会は信仰に基づく信頼でつながっていたため、利害関係による争いは起きにくかったでしょう。

信頼によるつながりは人間の心を穏やかにしたり、活性化させたりします。

おそらく縄文人は、経済的な生産性は高くなくても、豊かで幸せな生活を送っていたのでしょう。

彼らが残した土器や土偶のダイナミックな造形美を見ると、弥生時代以降には失われてしまった、魂のつながりによる人と社会のパワーを感じます。

こういう社会的なつながりは、今も存在していますが、個人的なレベルに限定されているので、それが基本原理として社会を動かしていた時代の価値観・世界観は理解しにくいかもしれません。

彼らの価値観や世界観がどんなものだったのかをもっと深く知るには、縄文時代が終わり、農耕社会が拡大しだした弥生時代から後にどんなことが起きたかを探る必要がありそうです。


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