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三千世界への旅 縄文9 祈る

新潟・十日町市博物館5


小さく素朴な土偶


縄文の出土品で土器と並んで有名なのは土偶、つまり土でできた人形です。

この博物館にも土偶がたくさん展示されていますが、平たくて小ぶりだったり、破片的だったりで、長野・尖石遺跡のいわゆる「縄文のビーナス」とか青森・亀ヶ岡遺跡の「遮光器土偶」など有名どころのような、彫刻として見惚れてしまうような土偶はありません。

この新潟・十日町エリアの土器が、火焔土器など派手で素晴らしい造形美を見せるのに対して、土偶が小粒で、よく言えば素朴、言い換えると造りが雑なのはなぜなんでしょう?

この地域の縄文人が土器に情熱を集中していて、土偶にはそれほど熱心でなかったということでしょうか?

それでも子供の工作みたいなこれらの土偶にも、これを作り、持っていた人たちの思いみたいなものが感じられるから不思議です。

むしろ、そんなに美術的じゃないからこそ、素朴な思いがダイレクトに伝わってくるのかもしれません。


土偶に込められた思い


土偶の半分くらいは、女性をかたどった人形のようです。

他にもっと簡素な、三角形の土偶もありますが、これも女性の首から胸あたり、あるいはお腹、腰などを象徴しているように見えます。

他の地域の縄文遺跡から出土している土偶には、妊娠・出産を象徴しているもの、生命の根源としての女神的な性格を感じさせるものがありますが、そこには「子宝に恵まれますように」みたいな思いが込められているんでしょうか。

この博物館の土偶は大きくて十数センチ、小さいものは数センチですから、大勢の人たちがみんなで拝んだり祈念したりするには向いていないようです。

家族で、あるいは女性が大切に持っていることが、家族の繁栄への祈りになるようなものだったのかもしれません。

また、中には焼かれていたり、あえて割られたりしたのかなという感じのものもあるので、火にくべたり、割ったりすることが、祈りになるような文化が存在したのかもしれません。

そもそも祈りとか礼拝など、今の我々が考えているような宗教的な行為は、もっと後になって生まれたものなのかもしれないので、あまり安易に想像しても意味はないんですが。

装飾品として紹介されている耳飾りや、首飾り、胸飾り、腕輪なども、縄文人にとっては身につけることで自然界の精霊的な存在と繋がったり、お守りになったり、何か霊力を身につけることができるとされていたのかもしれませんから、自分を装飾品で飾ることが一種の祈りだった可能性もあります。

現代でも水晶などのパワーストーンや貴金属を身につけることで、そういう神秘的な力を得ようとする人もいますから、これは人類のかなり深いところにつながっている行為なのかもしれません。

石の棒と秘宝館


祈りと関係がありそうなものとしては、ほかに長くて丸みを帯びた大小様々な石の棒が展示されていました。

これは男性の生殖器をかたどったものとのこと。やはり子宝に恵まれますように的な願いを込めて祀ったり祈ったりしたんでしょうか。

この手の男根模型は、石や木製のものなどが、今でも子宝に恵まれるという言い伝えのある地方の神社や温泉、あるいいは村の周辺にある小さなほこらなどに置かれたりしていますから、縄文時代あるいはそれより前の旧石器時代から長い年月、あちこちで作られ、祀られてきたのでしょう。

僕が若かった頃は地方のあちこちに秘宝館という娯楽施設があって、その地方の伝統的な風習や土俗的な工芸品を展示してありましたが、その中に必ずといっていいほど、こうした男根をかたどった棒や、女性器をかたどったものがありました。

日常的な常識では下品で猥雑とされるものを、ちょっとユーモラスな「秘宝」として展示していたわけです。

元々原初の時代から人類が信仰、祈りの対象としてきたものなので、僕には特に違和感はありませんでしたが、今はどうでしょう?

この十数年、地方を旅してもあまり秘宝館を目にしなくなった気がします。

もしかしたら最近の若い人たちには、こうした素朴な生殖器系の展示に引いてしまう人が多いかもしれません。

僕のような年寄りでも、猥雑とされるものを一回捻ってユーモラスに展示するより、こうした縄文文化の博物館などで考古学的に根拠のあるものを堂々と展示した方がいいのかなと今は思います。

赤の神秘と酸化鉄ベンガラ


前回紹介した装飾品の一部に、レンガ色の塊が展示されていましたが、これはベンガラと呼ばれる酸化して赤くなった鉄の塊です。

縄文人はこれを赤色の顔料として使っていたとのこと。

西東京市郷土資料室では内側を赤い漆(ウルシ)で塗っていたとみられる土器を展示してありましたし、この十日町市博物館でも内側に赤が残っている土器がいくつか展示されています。

縄文人にとって赤は霊力を持つ色だったようです。

ウルシ自体に色はありませんから、赤くするにはこのベンガラを砕いて細かい粉末にし、ウルシに混ぜたのでしょう。

今でも漆工芸ではベンガラを赤の顔料として使うようで、趣味の工芸用にネット通販でも販売されています。

ベンガラという名称は、昔インドのベンガル地方で採れたものを輸入していたことに由来するという説明が、ネットのあちこちで見られますが、いつ頃の話なんでしょうか?

少なくとも縄文時代にインド・ベンガル地方との交易は行われていなかったでしょうから、このベンガラは日本のどこかで採取されていたでしょう。
名称も別の呼び方があったでしょう。

数十万年前から3.5万年前までユーラシア大陸西部で生きたネアンデルタール人も、さまざまな材料からさまざまな顔料を作って器具や自分たちの体を彩っていたようですから、もしかしたら色彩と顔料には人類がアジアにやってくる前からの長い歴史があるのかもしれません。

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