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カリスマ教師の責任

「〇〇先生が学級担任になると、子どもたちがガラッと変わるよね。」「子どもたちは主体的になり、自治的集団になるよね。」などと言われる先生がいる。

そのような先生をカリスマ先生と呼ぶ人もいる。

その先生が受け持つクラスの子どもたちは、他のクラスの子どもたちと比較して、学習意欲も含めた学力も高い、学級生活満足群の割合も高い、男女の仲もよく、トラブルが起こっても子どもたちで解決しようとする。何よりカリスマ先生のことを慕っていることが多い。

同僚からはできる先生、若手からは憧れの先生、管理職からは期待の先生としてみられかもしれないカリスマ先生であるが、2つのタイプがあると考える。

1つは「私はできる先生だ!」と思われたい気持ちがさらに高まり、無意識に、結果的に他の学級との差をつけたがるタイプである。書籍や研修やサークルで意欲的に学ぶものの、学びを自分の学級のみに還元しようとする傾向が強い。指導力は十分にあるが、自分の学級という狭い視野で教育を行ってしまいがちなので、その先生の学級でしか輝けない子どもたちもでてくる。せっかくの子どもたちの育ちが、次の学年とつながらないということも生まれてくる。

もう一つは、自分のもっている教育資源(指導力等も含む)を惜しみなく他の先生に教えたり、困っている先生方をサポートしたりするタイプである。他の先生と連携して子どもたちを育てていくことの大切さを理解しているからこそである。そのような人は、6年間でどのように子どもたちを育てていくかや、子どもたちの成長の連続性を意識しながら指導している。指導を受けた子どもたちは、学級というコミュニティや、担任が変わっても身に付けた力を発揮できることになる。

経験上、多くのカリスマ教師が陥りやすいのは前者である。考える範囲が狭く比較的楽なうえ、指導力もあるので周囲の評価も保てるからである。しかし、保護者の視点や、子どもたちの成長の連続性から考えると、後者の方が断然よい。

「〇〇先生の学級じゃないと、力を発揮できない。」
「〇〇先生のときは、自ら進んで行動してたけど、担任が変わって全くしなくなった。」
「〇〇先生のやり方だったら、ルール守っていたのになあ。」ということを耳にすることがある。

これは、もしかしたらカリスマ教師(前者)?の責任なのかもしれない。


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