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僕は車のクラクションを鳴らさない

どうも、こんにちは。
【株式会社自分の社長室】では、自由気ままにその日の出来事や趣味について書こうと思います。あまり「学び」のようなものは提供できないかもしれませんが、暇つぶしに読んでみてください。


僕は、車のクラクションを鳴らさない。まだ車に乗り始めて数年だからというのもあるかもしれないけど、一回もクラクションを鳴らしたことがない。

前の車に割り込まれた時とか、前の車が危ない運転をしていた時とか、そういう時に他の人は鳴らすんだろうけど、僕は鳴らさない。クラクションを鳴らすという動作が身についていなくて咄嗟に押せないだけかもしれないけど、でもどんなに車を操るのが上手くなってもクラクションは鳴らさないと思う。

なぜか。僕の意見では、本当に車のクラクションが必要な場面は極めて限定的で、その限定的な場面に出会う確率は限りなく少なく、結局のところほとんど必要ないと思うからだ。

前述の、前の車に割り込まれた場合。クラクションを鳴らす暇があるなら、ブレーキをもっと強く踏んだり、回避が必要ならハンドルの操作をしたり、急ブレーキを踏まざるを得ないなら後ろの車に注意を与えるためにハザードランプを点灯させたり、自分が出来ることがいくつもあるはずだ。
そういう自分の裁量で処理できることをやり切らないうちに、「お前が悪い」といってクラクションを鳴らすのは本当に安全で合理的な判断なのだろうか。

自分だって危ない運転をしてしまう時はあるし、人が運転してるんだから一定度の確率で危険な運転に遭遇する可能性は常に存在し続ける。それが今与えられている「環境」であって、それを自分一人の力で変えるのは不可能だ。

であれば、他人の運転にクラクションを鳴らしてどうのこうの言うより、自分が出来ることは何かを考えてせっせとそっちに精を注いだ方がよっぽどいいと思う。

何かを周りのせいにしている限り、いつまで経っても成長出来ないし進歩がない。どんなに理不尽なことでも、どんなに自分に非がないと思うことでも、(自分が完璧じゃない限り)必ず自分のどこかに「非の打ちどころ」は存在していて、与えられた環境に文句を言う暇があったらそれを改善しなければいけない。(そして、この世に完璧な人間などいない)

アメリカで飛行機を飛ばす訓練をしていた時、理不尽なことが沢山あった。予報をちゃんとみたのに天気は急に悪くなる、飛行機は壊れる、周りに危なっかしい操縦をする機体がいる。でもだからと言って、飛行機を墜落させていい理由にはならないし、自分が最後まで安全を守る努力をやめていい理由にもならない。結局は自分が出来ることを一生懸命やるしかない。

何でもかんでも自分のせいにするのは本当に疲れるし辛い。でも、全部を自分のせいにしない限り、いつまで経っても自分は「振り回される側」で終わってしまう。

窓の外から大きなクラクションの音が聞こえてきて、そんなことを考えた雨の日の夜でした。

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