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「使い切れるか」で考える

どうも、こんにちは。1週間近く更新できずにすみません。年度末で本業の方がバタバタして記事を書く暇がありませんでした😭今後もゆるゆる更新していきますので、よろしくお願いします。

【株式会社自分の社長室】では、自由気ままにその日の出来事や趣味、考えたことについて書こうと思います。あまり「学び」のようなものは提供できないかもしれませんが、暇つぶしにゆっくり読んでみてください。


小学校の時、鉛筆や消しゴム、ノートを最後まで使いきれたことがほとんどなかった。ドラクエのキャラがプリントされてる鉛筆は好みが変わってまだ使えるのに捨てていた気がするし、シンプルな緑の鉛筆も中学に上がるくらいの時に大量に余って捨てた気がする。消しゴムなんて何個無くしたりちぎれたりして無駄にしたかわからないし、自由帳は最初の2、3ページに書いた絵が下手で書くのが嫌になって、そのまま捨てたこともあった。

「勿体ない」とは思いつつも、気分が上がらずに使えないものをずっと家に置いていても引き出しの中のスペースがどんどんなくなっていくだけだし、新しい物を買いたくなる気持ちは無くならないので物が減らない。物が多くなると何かを無くす可能性が高くなるし、部屋が片付いていない時間が多くなる。だから、最後は捨てるんだけどこの悪癖は治らない。気がついたら部屋は散らかっている。
そんな「勿体ない」と「綺麗にしたい」のジレンマを悶々と感じながら、高校生くらいまでは汚い部屋で過ごしていたと思う。

大学生になって、アメリカで寮生活を始めた時が転機だった。全部を一からやり直すチャンス。少ない荷物で日本から渡米して、広い部屋に必要最小限の荷物。物を増やさず、いつも綺麗に。自分の理想に挑戦できるチャンスが訪れた。

そこで、何かを買う時に「使い切れるかどうか」を判断基準にするようになった。ペンはインクが出なくなるまで使う。ノートは最後の一枚まで。服は穴が開くまで。食品は全部食べ切る。とにかく全部、「使い切る」ことを意識して、いつの間にか「使い切る」ことに気持ちよさを感じるようになった。使いきれないと非常に気持ちが悪いので、特にお気に入りじゃないのに大容量のものとか、ただ安いだけですぐ飽きそうなものとか、使いきれなさそうなものは買わなくなった。
そうすると、自然と部屋が綺麗になった。新陳代謝がきちんと機能していて、買ったものはみんな、それぞれの役割を全うして包みだけになって捨てられていく。極端に言うと、ゴミ箱の中身は外の包みだけになった。

机の上の綺麗さは、そのままその時の脳みその「クリアさ」に直結していると思う。机の上が綺麗だと、頭の中に余計な考え事や心配事が残っていなくて、取り組むべき問題に多くのメモリを使うことができる。余計な邪魔が入らず、目の前のことに集中できる。そうすると、問題を解決するまでにかかる時間も減って、結果的により多くのことに取り組める。
部屋や机の上が綺麗であることは「健康」とか「メンタルが安定している」とかと並んで、いい仕事をするためにかなり重要なステータスの一つになった。

全部を使い切れるようになると、「実質所得」が増えると思う。同じお金を支払っても、そのお金の分の価値を享受できるかどうかは消費者次第。使い切らずに捨ててしまえばその分無駄になって、自分が支払った分の対価を得ることが出来ない。
iPhoneを買って、まだ毎月の支払いが終わっていないのにiPhoneを捨てるようなものだと思う。

買った本はボロボロになるまで何度も読む、家電は自分で修理出来なくなるまで使う、服や靴はこまめに手入れして限界まで使う。

そんなポリシーで生きてみてはいかがだろうか。

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