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やりたいことはわからなくてもいい
生きていると
やりたいことがない
何がしたいのかわからない
と、悩んでしまうことがあります。
何を隠そう、私は今ミドサーであるにもかかわらず悩んでいます。
え?30代なのにやりたいこともわからないの?
と思われてしまうかもしれませんが、
何がしたいのかわからないと悩む人は、実は結構多い気がします。
けれど、私は最近
やりたいことがわからないことは、決して悪いことではないのではないか
と思えてきました。
私たちは仕事を探す上で、どうしてもやりたいことを軸にして考えてしまいます。
やりたいことを仕事にすることが、“正解”だと思うからです。
けれども、そもそもやりたいことを探すのが、今の日本では難しい気がします。
モノがなかった時代に比べて、今では簡単に欲しいものが(すべてではありませんが)手に入る時代です。
目に見える貧困や格差も、昔に比べたらなくなりました。
それなりに生きていれば、それなりの生活を送ることができる。
そんな状態では、やりたいことを見つけることがそもそも無理な話なのです。
また、その人にとっての“正解”は、他の人にとっての“正解”とはなりません。
本来は、一人ひとりがそれぞれ“正解”の生き方を持っているのですが
“みんな一緒でみんないい”という社会では、これが自分の“正解”の生き方だ!と、思いにくい面があります。
私は以前、社会福祉士を取ろうとしていることを同僚に話した際に、
「こころざしが高くてすごいですね。自分にはそういった目標はなくって…。」
と嘆かれました。
けれど、その同僚は3人の子どものお母さんでした。
私からしたら、子どもの母親(しかも3人)である時点ですごいことだと思います。
こころざし云々の前に、3人の子どもの母親業をすることだってじゅうぶん尊いと思います。
もちろん、母親でなかったとしても、結婚していなかったとしても
人は生きているだけで、まわりの人を安心させたり幸せにしているのだと思います。
もっと言えば、家族も友人もいなかったとしても、自分が世界で一番自分の味方でいられれば、それでいいのだと思います。
何者であるかの前に、自分が自分として存在しているだけで、本来はそこで“完結”しているものだと思うのです。
もちろん、目標やゴールを持つことは大事だしすばらしいことですが
あまりにもそれにとらわれすぎて、自分にはやりたいことがない…と自分を卑下してしまうのも、なんだか違う気がします。
やりたいことなんか、なくていい。
何がしたいのか、わからなくていい。
“やりたいこと”にとらわれるのではなく、“自分にできること”を探していく。
そしてできることを積み重ねていけば、おのずと本当にやりたいことが見つかるのではないか。
さて、今の私にできることはなんだろう。
noteを書くこと。
自分に寄り添うこと。
家族を笑わせること。
勉強すること。
…もっと増やしたい。
けれど、これもまた、私にとっては“正解”の生き方なのです。
他の人と比べたら、今の自分にできることはかなり少ないのですが、
自分の生き方としては、これが“正解”なのだと思っています。
そして、できることをどんどん増やしていって、
もっともっと自分でいることを楽しめるようになりたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊
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