東条英機
1941年、陸相兼任のまま首相に就任。以後3年近くに渡り政権を率い、太平洋戦争に突入した日本を破局へ導く役割を果たし、自ら「大東亜戦争」の代名詞的存在と化した。複数の閣僚に加え参謀総長まで兼ねたため「独裁者」と批判されたが、近年では統帥権の独立という明治憲法の欠陥を補うためのやむを得ない措置だったと同情的な見方もある。きまじめで律儀な事務屋だが、リーダーとしての展望には欠け、反対派に憲兵を差し向けて自殺に追い込んだり徴兵して激戦地へ送ったりと、小人丸出しの陰湿な側面も目立ってひどく嫌われた。A級戦犯として拘引時に自殺に失敗しいよいよ軽蔑されたが、死を悟って臨んだ東京裁判では昭和天皇への戦争責任論を波及させないため自らの責任を回避しない陳述を行い、最後の最後に男をあげた。刑死。