躁うつ病と希死念慮ってなあに

はい!では解説します。

躁うつ病っていうのはね、簡単に言葉で説明すると
超ハイテンションと超鬱を繰り返しちゃう病気です。

でね、希死念慮っていうのは「しにたい!」っていう気持ちの事だよ!

それで?

僕この躁うつ病ってぇのと中学生のころからの付き合いなんです。
当時はパニック障害も入ってて統合失調症扱いされて措置入院なんて事もありました。
まぁそんなメンヘラクソガキなんですが、田舎のヤンキーと仲が良かったためにいろいろと道を踏み外していきます

どう踏み外していくのか

非行少年あるある。ですけど家に居ません。
だいたい誰かの家、コンビニ、公園、誰も来ない場所
ここで何をするでもなくただグダグダするだけ
おっさんの時代にはケータイなんて便利なモンもなく
本当にコンビニでお菓子を買って食べてるトーヨコ女子と変わらないのかもしれない

踏み外してよかったこと

中学卒業式のその日に僕は自殺未遂を慣行したらしい。
凄いなぁと今でも思う。
記憶にあるのは前日に泥酔していたこと
いわゆるオーバードーズ気味だった状態だったこと
それぐらいには「親が来る」と言う卒業式が嫌だったともいえるわけなんでしょうけど
実は記憶にありません。
起きたらICUです。卒業文集にだけは全員が書いてくれました。
ですが僕は中二病まっさかりだったのでマッハで燃やしました。ロックだぜパワフル魂。
案外、子供同士でも人って見捨てないんだなって思えたかもしれません。あそこで捨ててなければ。
ただ、その文集に何も書かなかった奴らだけが今でも友達なのは皮肉な話です。

壊れた心で働いていく

学生時代は飲食店をメインに様々なアルバイトをして、何なら自分で機械整備なんかしちゃってお金にしちゃったりして
割と学生にしてはリッチにオートバイなんかに乗って遊んでいる程度には
「仕事をする」能力が自分には多少はあったようです。
ですが就職、正社員営業マンとして家電量販店に配属されました。
案外ね、2年ぐらい平気だったんですよ。ブラック企業だったんですけどね。
初めて働く会社ですし親父も有給取るとかあんまり聞いたことなかったのでまぁ有給って使えないんだろうな?みたいな・・・。
そこで3年目、過労で倒れます。1回目。
この時点で僕は起きた病院で「知らない天井だ」と言えたあたりでナースコールを押してケータイを手にして会社に連絡をしていました。

気づかないうちにもっと壊れていく

朝8時に家を出て家に帰るのが24時
朝8時に家を出て家に帰るのが次の日の24時
そんな暮らしを続けていました。
20代前半の体力ってすごいですよね。マジで何ともないどころかこの仕事サイクルで飲み会まで参加してましたよ僕。
そして倒れます。出勤中の電車内で2回目の過労失神です。
完全に栄養失調、3日間病院に拘束。
会社からは罵声の電話
退院後に首をつっていました。

運がいいのかわるいのか

使ったロープが悪かったのか紐がちぎれてしまいましたとさ。とほほ。
準備までしたのにな、お尻痛いな。と思ってたら親が来ちゃいました。
自殺未遂も2回目ともなればまた入院です。
そう閉鎖病棟です。今回は10日ぐらいだったかな。
とにかく希死念慮がなくなるまで監禁。外部メディアから遮断。何も考えれない。何もすることがない。時間で出てくる食事、一生流れてるNHK、閉じないドア、廊下を一生歩く人たち、鑑にしゃべり続けるおばさん。
そこにいるストレスも、まぁまぁなかなかで「俺って健全だな」とか思い直せるもんです。

とりあえず

生きてるらしい。でも仕事はもう無理だな。って心のどこかで
なにかが ぽっきり と 音を立てて割れるように折れました。
母親に「仕事辞めるよ」と伝えたところ
「あんたみたいなバカ雇ってくれるところなんか他にないんだから後何年頑張って働け」と言われ
父親に「もう働けない」と伝えたところ
「俺だって働きたくない」と言われ
もうどうしようもないのかな、とこのあたりから常に躁鬱に苛まれながら生きていく事となりました。

婚約、その破棄。

そんなこんなで再就職。同じ営業職ではあるけど労働時間も減ったし
怒鳴られる事もゴミ箱が散乱することもない平和な職場でした。
気づいたらその会社で人事部メイン担当の専務になってました。そりゃねーよ。
それなり楽しく入ってきた社員や後輩とも仲良くやれてたのもその時期だけでした。
順風満帆なのはこの時で、お付き合いしていた彼女とも3年近くになり
そろそろ折を見て落ち着くかなとも僕も考えていました。
ただ、いろいろお話をしていくうちに
「一軒家が欲しいの」「防音室付きのピアノが置けるお庭があるのがいいな」
「結婚式はこんなのがしたいな」
お金、お金、お金です。
夢を語ってくれるのはいいですし、一緒に頑張ろうねっていう気持ちは嬉しかった。
・・・ただ「家買うときにお父様に300万円ぐらい借りてこれない?」の言葉で血の気が引きましたね。

その後、多少のケンカの後相手のスマホにマッチングアプリが入っているのを僕が見つけて終了です。

破棄、その後。

破棄辞退はそこまで面倒でもない。結納していたわけでも金銭的な何かが大きく動いたわけでもない。
ただ両親の挨拶が済んでいる事や浮気からの婚約破棄とかでまぁ揉めました。
そして僕の元婚約者と母親が仲が良かった為にもう針の筵扱いです。
私は浮気なんかしてないの一点張りで、あーあ写真撮ればよかったな。としか思えませんでした。

あぁ、昔自分のグレた息子に「お前なんかいらないから死ね」って包丁投げてきた人だもんなぁ。と昔のトラウマと共に煙草に火をつけて実家を出るしかありませんでした。

両親との関係

もう5年以上会ってない。
親族誰とも。連絡先すらも解らない。
実家の住所をぎりぎり覚えてる気がする・・・電話番号はもう忘れました。
そんなレベルです。

今後

母親は「僕にしっかりしたサラリーマン」になってほしいんだろうな
その気持ちはわかる
父親はよくわかんないや、あの人自分が楽しけりゃそれでよさそうだし。

また仲良くしたいな。って気持ちはある。すごくある。
でも時間をかけないときっと連絡してもまたお互い衝突するだけだろうなとも思う。
だから言えないまま。

最後の自殺未遂

流れ流れて東京都内
5.5畳のワンルーム
日当たり悪く風通しも悪い
風呂とトイレが別で新築な事以外は何もいい事は無い物件だった
即入居だからそこにした
最初はがむしゃらに働いた。
毎月50万以上売り上げて、なんとか成り上がろうとして
地元捨ててまで出てきたんだ

脳幹梗塞/出血で倒れる

めまいがするなーひどいなーあたまいたいなー
って仕事中になって気づいたら救急車で気づいたらあれよあれよと言う間にです
長期の入院になり、フリーランスで仕事していた為とくにいい保険にも入れておらず
色々免除してもらいましたが働けなくなり資金的にショート、破産です。

命の110番って?

よくあるじゃないですか、あなたの気持ちを聞かせてよみたいなやつ
あれに電話したんですよ。もう友達もいないし最後に止めてほしかった?
なんだろう、自分でもよくわからない気持ちなんですけどね。
眠剤も全部飲んで、あるだけの痛み止めとかの薬飲めるだけ飲んで
酒もあるだけ全部飲んで。
クビくくる準備して電話したら出やがるんですよね。
多分ふわっふわのべろっべろだったんですけど、僕結構酒で記憶は飛ばないんですけど
なんか後日生活保護の福祉課がとか言ってたな。みたいな感じで
翌朝地域の保護課の人が色々食べ物や飲み物持ってきてくれました。
その次の日に迎えに来てもらって申請、審査、すぐ通って保護費が貰えて
暮らせるようになりました。みたいな感じです。

案外有能だったんだよ。

行政とのリンクとかも多少進んでる地域があるのかはわからないけれど
僕の住んでる場所はたまたま運がいいことに行政につないでもらえた
そしてその次の日に家まできてくれた。
正直助けられたな。って気持ちが大きかった。

メンタルケアスタッフさんに言われたこと

東雪谷さん お疲れ様でした
色々お悩みでしたね 本当にお疲れ様でした

って手を握られて言われて30超えた男がぼろぼろ声をあげて泣きました。

もう大丈夫ですよ。とりあえず今日は食べやすいごはん持ってきましたから
これゆっくり食べれるだけ食べてくださいね。
明日また迎えに来ますから、その時にいろいろ申請しましょうね。
お風呂入ってなくても大丈夫ですよ。

あぁ、生きてていいんだな。って

お金がないと生きてちゃいけないって思ってた。
親がそう言ってたのかもしれないし、僕がそう思っていたのかもしれない。
生活保護の申請が通って、冬の空気を吸いながら久々に買った紙巻煙草を燻らせて
あぁ、生きてていいんだなぁと思いました。

訪問診療と訪問介護へ

まぁ、病状がひどく悪化しちゃったと言う事もありまして
まともに朝起きれないわ風呂も入れないわメシも食えないわウンコも出来ないわなレベルになったんですね。
そうなると病院に通うとかもうマジ無理ゲーなので。
ケースワーカーさんとケアスタッフさんが訪問診療にしましょう。と言う事で
メンタルクリニックの先生方が2人も僕のおうちに来てくれることに・・・。
で、ある程度のサイクルで訪問看護さんが様子見にきてくれるとのことで
あぁなんて手厚いんだ日本。

で、生活保護って暇なのよ。

病んでる最初のうちはこう、寝てばっかで家からも出ないし
何もしないし「暇」とか苦痛にならないんですよね。
無限に寝れるので。
ただ薬が効いて精神的に元気になってくるとですね
めちゃくちゃに暇です。
だって何もすることないんですもん。パソコンでアニメもYoutubeもそんな見るものありませんて。

社畜根性、ここに極まれり

もう働いてないほうが不安です。と言う事で
ケースワーカーさんと相談の上でフリーランスで動画の編集や文字起こし
写真のレタッチ、まぁ映像PC関係処理が多少できたので
そのあたりをフリーランスで請け負ってちょいちょいやって生きてるって感じですね。

で、最近どうなの?

最近はお薬の進化がすごいですね。
睡眠導入剤でも記憶がすっ飛んだりしないですし、所謂ふわふわらりらりする物が減っててとてもいいと思います。
まぁ納得いってない僕の嫌いな界隈も多そうですが笑
現在も服薬治療中で睡眠導入剤含め5種です。
今後は障碍者手帳取得するかと次の病院でご相談かな?って感じです。
まぁまぁ都内で贅沢は出来てないけどフワフワは生きていけてます。


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