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認知症の姑の介護体験で感じてきたこと⑦

姑がリストカットをして大騒ぎになった後、要介護2の認定をもらって、デイサービス探しが始まった。

「集団は嫌いだ」という姑が、果たして見ず知らずの人たちの中で馴染んでいけるのかと思ったが、一般住宅を改装した小規模のデイサービスが性に合ったようで、そこに通うことになった。

お一人のスタッフの方が、とても物腰柔らかで、姑や私に対しての気配りも行き届いていて、お顔もスタイルも良くて、姑はその方がお迎えに来てくださると喜んで行くようになった。

この方はどうしてこんなに人間ができておられるんだろう、介護のお仕事はきっとこの方の天職だと、感心しながら、憧れにも似た気持ちになった。

色んなところで、様々に練り鍛えられてこられた人格なのだろう。素敵だ。

姑との同居生活の中で、戸惑いやら葛藤のある中で、ケアマネージャーさんや、デイサービスのスタッフの方々が支えてくださることで、どれ程救われたことか…

アルツハイマー型認知症とはまた違う、レビー小体型認知症。

姑は、自分が忘れたことや、色々認知できていないことを自覚しているので、自分を責めて気分を落ち込ませていた。

「大丈夫」と何度も声をかけた。

耳も遠いので、二度三度と聞き返されると、もうこちらも言う気が失せて、「もういいわ」となってくる。

ある時、洗濯物を取り入れてくれていたので、
私「お母さん、洗濯物ありがとう」
姑「えっ?」
私「ありがとう」
姑「えっ?」
私「もういいわ」
姑「洗濯物ありがとうって言ったのか?」
私の心の声 (聞こえてるんかーい😅💦)
と、こんなやりとりは数知れず…😅

私が姑に発する声がだんだん大きくなると、何故か姑も怒られているように感じるようで、またこちらも怒ってもいないのに、段々声の大きさに比例してイライラ度が上がって来てしまうのは何故なのか?

声の大きさと感情の起伏の不思議な関係…???

夜、姑が自分の部屋に寝に行ったと思ったら、またリビングに来るので、「どうしたの?」と聞くと、「ベランダに人がいるから、怖くて寝られない」と訴えた。

幻視の症状だ。

とりあえず、一緒に部屋に入って、ベランダを見て、私には見えないので、「どこに見えるの?」と聞く。

「あそこに」と指を指す。

「でもその人何もしてこないよ。見えないように、カーテンしてシャッターも閉めておくから、大丈夫」となだめすかして、リビングに戻った。

そんな日もまた数知れず😅

「お金がない、誰かに盗まれた」はしょっちゅうで、認知症あるあるだ。

毎月決まった金額を、夫から姑に渡してもらっていたが、封筒に入れて渡すものだから、その封筒ごと、ベッドのシーツの下や、鏡台の引き出しの奥や、タンスの奥などあちらこちらにしまい込んで、忘れてしまっていた。

それを毎回探すのが大変で、嫁の私が盗ったようにも言われて、最初は腹も立ったが、度重なるともう「あぁ、また言ってるわ」と切り替えた。

私が封筒のお金を探し出して「ほら、あったでしょ。お母さんがここにしまっておいたんでしょ」とドヤ顔で封筒を渡すと、さっきまで「あんたが隠した」と言ったことも無かったかのように、「良かった」とお金を握りしめてあっけらかんとしていた。

こういう時には、顔で笑って「この〇〇ババアが!」と心の中でつぶやいていた。
これが現実。怖い怖い😱(笑)

なので、夫には、姑にお金を渡したら、その場で必ずお金を財布に入れるまで見届けておいてもらうようにした。そうすると、少し「お金がない」の回数が減った。

思い出すと今では笑える話だが、その時はとても笑ってはいられず、「果たして今日は何が起こるのか」とドキドキの日々。全てをストレスに感じていた。

決して姑は悪い人でもなく、それまで嫁いびりもしたこともなく、多少小言は言われたことはあるが、それは私が悪かったと素直に思えることばかりだった。

そんな姑でも、この人とどう向き合えばいいかわからない戸惑いの中で、私は認知症の姑を受け入れられない自分の器の小ささに苛立っていた。

どうこの感情を処理したらいいのかわからず、もがいていた。

ケアマネージャーさんが言った。「いつもお母さんを一番にしなくてもいいんですよ。お子さんのこと、自分のこと、その時々、優先順位を考えればいいんですよ」と。

「そうですよね。背負いすぎないでいこう。なるようにしかならないんだから」と思えて、少し救われた気がした。


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