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(詩)宇宙への招待状


大空に、黄金のドラゴンが現れた、その夜。

わたしは、宇宙にいた。

わたしがそこで経験したことは、

「絶対的なアロンネス(独り)」だった。



「独りでいること」 と 「孤独感」 は、まったく違う。

「アロンネス(独り)」は、すべてと溶け合って、ひとつになっているときに、

本当の意味で感じることができる。

すべてとは「すべて」だ。

完全なる愛そのものの状態でいるときに、

すべてと一体なのだということが理解できる。

そして、この世界にはなにもないということがわかる。

「なにもない」ということは、「愛だけが存在する」と言い換えられる。

そしてそれは、「絶対的なアロンネス(独り)」なのだ。

わたしは、宇宙を見ていた。

そのわたしは、まさに、宇宙そのものだった。

それは、だれが何と言おうと、間違いのない「真実」だった。


地球に戻ってから、人間同士の中から発生する、くるくると目まぐるしいさまざまな感情と、心の色とりどりの彩りの中で、

「地球でのわたし」・・・・・というものを知った。

なるほど。

「地球でのわたし」は、愛すべき価値ある未成熟者であり、不完全なままであることで、すべてが完全で完璧な「曼荼羅」を形作っていた。

それを、「宇宙のわたし」が、すべてみていたし、

すべては、承知の上だった。


「宇宙のわたし」目線で見た、「地球のわたし」は、

痛快でドラマティックな演劇に過ぎない。

笑っちゃう。

結局、そういうことだ。

深刻になる、必要なんか、どこにもない。

笑っちゃう、これは。 力んで、力入れて生きても、仕方ない。 

「地球のわたし」のドラマの、ひとりのファンになろうじゃないか。

応援しているから、大いに演じたまえ、「地球のわたし」よ!

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