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バスを降り、自宅に戻る前に、少し離れたところにあるコンビニまでぶらっと、歩いた。

今日は、朝早くから慌しい一日だったので、なんだか足が重くて、痛くて、のんびりとぶらぶらと、歩いた。

先の尖った7cmヒールのミュールを履いていたのだが、足先が痛くて痛くて・・・。

深夜の藍色の空気の中、そろりそろりとゆっくりと、確かめるように丁寧に歩いた。

コンビニで、お水ボトルと梅干、それから、カカオ84%のチョコレートと、もうすぐ無くなりそうだったごみ袋を買い、

往路よりも増して、ぶらぶらとぼとぼ、自宅へと向かった。

くたくたに疲れていたので、自然とうつむちがちである。

「えっと・・・明日は土曜日だから、仕事はあそこに先ず行ってから次はあそこで・・・・。だから朝起きる時間は・・・・。」

やっと、今日が終わったというのに、もう頭は「明日モード」に切り替わっている。

足もとのミュールの先をみつめ、右足と左足が交互に現れてくるのを、テレビを見ているかのようにうすぼんやりと見ながら歩く。

ふと・・・、後方から、なにやら、メロディーが聞こえた。

メロディーは徐々に近づいてきて、シュルシュル・・・という自転車をこぐ旋律と共にやってくる。

自転車は、「よいしょ、よいしょっ。」というかんじに、ゆっくりとのんびりと、運転手の気持ちを反映しているかのように、シュル、シュルシュルと、メロディーに色をつけていた。

くたくたのトレーナーにジャージのようなズボン、まるでお風呂上りみたいな、ゆるゆるのリラックスした服装の若い男性が、鼻歌を歌いながら自転車をこいでいたのである。

彼は、亀のごとくゆっくりと、ふらふらと、えっちらおっちら私を追い抜いて行った。

ものすごく脱力しているのだろう。見ているだけでリラックスするような雰囲気の彼。

私は、またしばらくとぼとぼ歩いたのち、同じようにメロディーが後方から聞こえてくるのに気づいた。

今度は、先ほどよりも幾分、忙しいかんじの旋律。

ちょいとお洒落なハンチング帽をかぶり、黒ぶちらしき眼鏡をかけ、体にピタッとしたGジャンを来た若い男性が、シュシュシューーーー、っと風を切ってわたしを追い越した。

なにやら、アップテンポなごきげんな歌を口ずさんでいた。

片手でハンドルをパンパパンパンパパン!と叩き、リズムを取っていたように見えた。

あら、機嫌がいいのね。

夜が刻一刻と、今日を終わりに近づけていき、人々が家路を急ぐこの時間。みな、歌いたくなるのだろうか。

ご機嫌の彼が私を追い越していったあと、私は信号で歩みを止めた。

今度ははっきりと、歌詞まで理解できるほどはっきりと、女性のかわいらしい歌声が聞こえた。

後ろからやってきて私の隣で止まり、同じ信号を待っている自転車に乗っていたのはボブヘアーの女性。

グレーのスニーカーにジーンズを履いた彼女はウォークマンで音楽を聞きながら、耳の奥のボーカルと一緒になって、熱唱していたのである。

かなり、感情を込めて、お腹から声を出して。

私が彼女の歌を聴いていると、おもむろに信号が青になり、風を切って、ギューーーーン、っと彼女は行ってしまった。

彼女の歌う歌詞があとからあとから文字になって空中に飛び出していって、音符も空に広がって、自転車で風を切る彼女の後ろに、長ーく尾を引いて、さらさらと流れて行く小川のように見えた。

こんな5分くらいの道のりで、3人もの歌声を聞いた。

なんだか、わたしもむずむず歌いたくなり、少しだけ歌ってみた。

最初はひっそりと、そして徐々にはっきりと。

歌う声はわたしの身体を内側からマッサージするように、体の隅々まですべての滞りを刺激して動かしてくれたような気がした。

肋骨の中が響き、顎の中も響いて、シャワーを浴びたように心地が良くなった。

くたくたに疲れていた私は、みるみると気持ちが広がって、顔を上げ、目を大きく開いた。

夜空は曇っていたけれど、たくさんの音符とリズムが暗い空を彩り、わたしは弾むように微笑んだ。

こんなふうに、知らない通りすがりの人々からも、私は助けられている。

ありがたいな、世界はなんて完璧なんだ。

※色褪せない過去の日記より


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