主仏陀は言われた
主仏陀は言われた
ただそういわれているからといって、ものごとを信じてはならない。
昔から伝わってきたものだからといって、
その言い伝えを信じてはならない。
デーヴァから(霊的なインスピレーションと思われる形で)
与えられたものと思い込んで、その空想を信じてはならない。
でたらめな憶測から引き出した結論にもとづいて、
また、必然的にそう類推されると思われるからといって、
あるいは、単に教師や先生の権威をよりどころにして、信じてはならない。しかし、自分の理性と意識において確証を得た時には、
そのような書、教養、言葉を信じるべきである。
仏陀は最後に次のように言われた。
「そういうわけで、私があなた方に教えたのは、そう聞いたからというだけで、信じてはならないが、自らの意識で確信したならば、その信念に従って一所懸命に行動せよということである」と。
『イニシエーション』(Initiation,Human and Soar)より
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自灯明・法灯明の教え
アーナンダよ、汝らは、自(みずか)らを灯明とし、自らをより処として、他のもの(añña)をより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とすることのないように
ではアーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し(anupassī)、熱心につとめ(ātāpī)、明確に理解し(sampajāno)、よく気をつけていて(satimā)、世界における欲と憂いを捨て去るべきである。
アーナンダよ、このようにして、比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである
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