見出し画像

眠れない 眠ろうとして

水にあふれる リバーサイドの日々
水に流れる 水の流れる
ああ、こんなふうに思い出すなんて
Wondering up and down PSY・S

昨日、昔のことを書いたからか、子供の頃のことばかり思い出す。

私の家は、小さな川の目の前にあって、壊れそうな石の橋がかかっていた。

家の前は見渡す限りの田園。

その先には山。

裏の小さな山は全て梨畑。

田に水が入り、最初はドロドロのそれが稲を植え、上澄が澄んでくる頃、梅雨が訪れる。

私の家は農家ではなかったけれど、毎日通学の途中、田畑の手入れをしている大人たちは忙しそうで、日焼けした顔や指先は汗や泥にまみれていた。

みんな兼業農家で、普通に働いてもいるのだ。

私のいた集落で、専業だったのは一軒だけだ。

好きではない地元だが、頭が下がる。

梅雨が終わり、夏休みが始まると、ラジオ体操のため、集落のはずれにある、なんでだが遊園地と呼ばれていた広場に集まる。

滑り台、ブランコ、地球儀などがあったが、本当にただの原っぱ。

私と隣の家の幼馴染は、自分達より背の高い草をかき分けてそこに向かう。

朝は寒く、草はつゆに覆われて、私たちはびしょ濡れになる。

夏休みの真ん中、子供も大人も集まって、夕方からその場所の草むしりをする。

小学校でもしょっちゅう草むしりはあった。

どの草はむしりやすく、どの草は根が張り手間がかかるかは子供はみんな知っている。

要領のいい子は手間のかからない草を選んでサクサクむしる。

私はトロかったので、抜けない草に振り回されて、手を真っ赤にしたものだ。

休憩時間は、大人がカップに入った50円のかき氷を買って来てくれる。

白いの、ピンクなのとあるが、別に香料も入ってない、ただの色水を凍らせたものだが、あの時は美味しかった。

ピンクのが貰えると、味は一緒なのに嬉しかった。

家の前の川にはせきがあり、夏の終わりまでは止められていて川遊びはできない。

それでも上流の方では流れが早いところがあり、大人は、名前をなんというのだろう、大きな円形の箱に里芋を入れて、川の中に入れ、里芋の皮を剥く。

小さな泥水が溜まっているようなドブには、ザリガニ用の罠を仕掛ける。

せきがあげられ、川が流れ始めると、子供は川の中に入り、何をするでもなく足をつけて、虫取りやら、川底の小さな綺麗な石やらをとって遊ぶ。

祖母が小さかった頃は、水が綺麗で、もっと水量があり、その川で泳いでいたそうだ。

片端はにはとれたてのトマトやナス、きゅうりを浮かべて冷やし、泳ぎ疲れた頃食べていたそう。

私は泳げないが、足首までの川の流れに浸かって、ぼんやりと草むらの匂いを嗅ぐのが好きだった。

犬を飼い始め、子犬は夏の暑さに弱いから、慣れるまでは夜中、人気のない夜道をよく散歩した。

夏の終わり、稲は背が高くなり、月明かりにあぜに濃い影を落とす。

見え隠れする水面に、歪んだ月が映る。

犬の散歩に引っ付いてきた猫と、犬と、夏のなんとも言えない濃密な空気を肺いっぱい吸う。

緑が多いせいだろうか。

夏の空気は、なにか甘くとろみがあるようで、少し淫靡だ。

蛙の鳴き声、虫の音、絶えず音が鳴る。

車も通らない夜更け、私たちは密やかに夏の散歩を楽しんだ。

秋になると、田んぼ仕事が賑やかになり、私は呑気に散歩をすることが憚られ、やっぱり夜中に行く。

甘いとろけるような金木犀の匂いの中、枯れ草を踏みカサカサと足跡を立てながら歩く。

稲は刈られ、三角に積まれるか、まだ刈られていないものは重く穂を垂れているか。

子供の頃のように、刈られた田んぼの真ん中を歩くこともあった。

刈られた稲の根元が固く歩きにくいのだが、秋から早春、田んぼは子供たちの遊び場だ。

冬になると凧揚げや羽付き、鬼ごっこと何かしら田んぼで遊ぶ。

冬も、よく夜中に散歩に行った。

雪が積もり、止んでいる一瞬。

煌々とした月明かりに、私と犬は、新雪に足を踏み入れる。

世界は青白く、音は全て雪に飲み込まれ、怖いような静寂。

いつもは必ず耳にする川音すらも凍りついていたのか聞こえない。

白く、どの家にも灯りがなく、この世界に私と犬だけがいるような気がして、切なく甘酸っぱく、この時が永遠ならいいのにと毎年思った。

働いている頃、出張で出掛けて、乗り換えのため、地元の駅で一度降りた。

地元と言っても、私の住まいは山の中で、駅からは車で1時間ほどかかる。

しかし、降りた瞬間、ああ、地元だとはっきりわかった。

駅は建て替えられ、風景で懐かしんだのではない。

匂いだ。

あの、土臭く、緑がそよぎ、たまった水の匂いが、した。

匂いの記憶は深く、また、子供の頃にした心理テスト的なもので、私は五感では嗅覚が飛び抜けてよかったので、そのせいなのかもしれないけれど。

憎しみも悲しみも深いが、優しさや温かみが全くなかったわけではないのだ。

それでも、2度と帰らないと決めた。

遠くでそっと懐かしんでいよう。

憎しみが怒りに変わらないよう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?