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【これが愛というのなら】腐った病院の内情





放科VS外科


私の勤めていた病院は、入社時のテストで担当部署が決められる。

高得点者は「会計」(お金を預かったりするのではなく、診療科から送られてきた伝票をもとに計算する)

次点「総合窓口受付」

3番目「カルテ作成」

4番目「会計窓口」(患者さんと実際にお金のやり取りをする)

5番目「カルテ搬送」

私は「会計」のトップとして仕事をはじめた。

理恵は「総合受付窓口」からだった。

これは、理恵が他の病院で経験があったための人事と思うが、理恵はこのことに相当プライドを傷つけられ、腹を立てていたようだ。

そして、「会計」と「総合窓口受付」は、各診療科の専門担当も持つ。

私は「産婦人科」と「放射線科」。

理恵は「外科」だった。

今もそうなのか知らないが、外科っていうのはなんで院内で自分たちが一番偉いと思っているような態度を取るのだろう。

少なくとも、私が勤めていた頃、その病院は外科の力が強かった。

放射線科は、外科の依頼でCTやMRIを撮影し読影する。

「放射線科では悪性腫瘍(確定)」

「外科では悪性腫瘍(疑)」

であったりする。

レセプトでわかり、私は調整したいのだが、

「外科の部長が言っているのよ」

理恵はそう嘲笑うように言う。

放射線科としたら

「これだけのフィルムを使い、造影剤を指示しておいて、そしてはっきり読影出来ているのに!」

と医師も技師も怒る。

外科は直さず、そのままレセプトを通して返戻されることも多かった。

困るのは「医療保険の書類」。

患者はあくまで「外科」の診断通り、「自分は悪性腫瘍を煩ってない」と信じ、新規で医療保険に入ったりもする。

数年後、どうしようもならない状態で入院し、「医療保険の請求」をするのだが、保険会社の担当が、

「この方の全科の病名開示をお願いしたい」

と来る。

外科では「疑い」、放射線科では「確定」。

理恵は

「放科のせい!」

と私をなじる。

そして、外科の部長に可愛がられていた理恵を支持する人の方が多かった。

美人で、愛想のいい、私より若かった理恵。

美人でもなく、患者相手に全ての愛想の良さを使い果たし、仲間内では「変わり者」扱いされた私。

勝敗など、わかりきった事だった。

お見舞いと20人のパーティー


総合病院に勤めているとき、体の弱い私は何度か入院した。

緊急性がないときは、勤め先ではない病院を選んでいた。

望や、仲のいい人には

「入院中は疲れてしまうから、お見舞いはなしで」

と頼んでいた。

そんなとき、理恵が一番可愛がっていた後輩の詩織が、緊急入院になった。

「切迫流産」。

婦人科担当でもある私は、すぐに病名が分かる。

経過もよく、数日で退院が出来るだろうという事だったし、どちらかというとまだ10代で未婚の詩織の妊娠が気になる人も多かったようだが、理恵が大騒ぎで心配する。

「詩織になにかあったら、私生きていけない」

職場で、泣くこともあった。

詩織の抜けた穴を、望が埋めた。

「先生の字が読めない」

望は、素直に先生に聞きに行った。

その素直さが良かったのか、先生に気に入られて、詩織が退院後も、その仕事は望が引き継ぐことになった。

「あんな子に務まるわけない」

理恵と理恵の取り巻きは敵意を持って望を見ていたが、問題が起こるわけでなく、望も忙しそうだったが気にしてない。

どちらにせよ、詩織は産休、育休があるので誰か後任がいるし、先生に気に入られた望が引き継ぐのは良かった。

詩織が退院して初めての出社日、大きな花束と、ブランド物のバッグ、小物、ぬいぐるみなどがプレゼントされた。

医事課全員からお金を徴収してのプレゼントだったが、なぜか、理恵とその取り巻きからだけの贈り物になってしまっていた。

1万円、払ったのだが。

カルテ搬送のリーダーが怒って、理恵と仲のいい先輩に文句を言った。

「詩織ちゃんのことはいい。だけど、あれだけするなら、お見舞いはなぎさんにもしたい」

「それはちょっと…」

理恵に逆らえない先輩は、そう断ったそうだ。

カルテ搬送のリーダーと、仲のいい人たち、望から、盛大な誕生日パーティーを開催されてプレゼントをもらったのはその後だった。

「お見舞いは嫌でも、誕生日なら受け取るでしょ」

その後、仲間内で誕生日パーティーは恒例になった。

唐揚げ、ラザニア、パスタ、ピザ、炊き込みご飯、茶碗蒸しなど、20人分の料理を作るのは、私ではあったが。

楽しかったから、いいか。

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