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手紙の話。

ファンレターのお話。
嬉しいこととかもあったりしてまとめたいな〜と思ったので。

■私とファンレター

小学生の頃から手紙に限らず文章を書くのが好きな子でした。小3くらいの国語の授業で物語を書いてみようという授業があったのですが、制限文字数をガン無視して一人だけ書きたいことをひたすらに書いていたという記憶があります。
最近ではインターネットや電子機器の発達により自身の手で文字を書く機会も減ってきています。私自身も実際そうです。
その中でも唯一といっていいくらい続いているのがファンレターを書くことです。
頻度は大体月一。イベントやライブの感想を書くことが多いです。

最初にファンレターを書いたのは恐らく2017年。
その頃は今みたいにコンスタントに書いていたわけではなく節目や記念のような感じで書いていました。
2019年頃から徐々に書く頻度が上がりましたね。シンプルにイベントやライブに行く機会が増えたからです。なのでイベントやライブに行かない時は全く書いていません。極端でした。
それがまた大きく変わったのが2020年。
例のコロナウイルスのせいで様々なイベントが軒並み中止になった年。
私の行きたかったイベントやライブもしっかり影響を受けました。非常に苦しかった1年です。
今までは会おうと思えば会いに行く機会があったけれど、この1年はそうは行かなかった。どんなに会いに行きたくても、イベントやライブが開催できないからどうやったって会えない。友達ではないから、私はファンでしかないから。
すごくつらかった。
今までも会いたいのに会えないという経験はあったけれど、それは自分の都合でイベントやライブに行かないという判断をしたものであって、その責任は自分にあると私は思っています。なので、どんな事情であれ会いに行かないという選択をした自分に会えないだけの苦しみが返ってきます。自己責任みたいなものです。
だけどコロナ禍は違う。会いに行かないではなく会いに行けない。本当に会えない。不可能だったんです。誰のせいでもないからこそ感情の向け処が分からなくてつらかった。すごく苦しかった。

そんなとき、自分に何ができるだろうかと考えて思いついたのがファンレターでした。今までもライブ後やイベント後に感想を認めて送っていましたが、それ以外の話をしたことはほとんどありませんでした。
イベントやライブの中止の連絡を受け、凄く苦しいけど、それを思い切って本人にも伝えてみようと思いました。
もう一度前を向くために。ただ中止になって悲しいと嘆くだけでなく、いつかまた会いに行ける日を笑顔で迎えるために。そう思って書き始めました。

それ以降は出演していた作品の感想や、特番の感想など、今まではSNSや個人ラジオへのメールで済ませていたものへの感想を手紙でも送るようになりました。
今思えば繋がりが欲しかったのかなと思うんです。
私が応援している人は元々SNSの更新を頻繁に行う方ではなく、近況を得る機会は週1回のラジオやイベントライブなど限られていました。
その内の一つが丸々奪われたんですからね、そりゃおかしくもなりますよ。そんなわけでバカみたいにお手紙を書くようになりました。とはいってもこの頃はこまめ(当社比)に出していた分一回あたりの文量は少なかったと思います。それが2021年の秋頃から徐々に肥大化していきました。
愛用している便箋の容量が少ないというのもあるのですが、平均して1回につき5,6枚は書いていると思います。どのくらいが適正量なのか分からないのですが多分長い方だと思います。本当に申し訳ない。

こちらでも少し言及しているのですが、遂長く書いてしまいがちな癖があるようです。もうこればっかりはどうにもならん。

なんだかんだ昨年は18通ファンレターを書いたそうです。何が月一頻度だ。といっても1人に18通ではなく3人くらいの方に出してたりしてたのでまあ頻度としては月一です、きっと。 
文字数を合計したら卒論よりも書いていてさすがに意味がわかりません。
まあそういうこともあるよね。(ない)


■ファンレターを書く理由

私がファンレターを書く理由は至ってシンプル。
私が書きたいから書く。それだけです。
伝えたいことがあるから書いているだけです。

この伝えたいことはその時々でもちろん変わります。
過去に書いたことのある内容はざっくりと以下の通り。

・ライブやイベント、作品の感想
・お気持ち表明
・お礼
・近況

一つだけ意味の分からないものがありますね。
なんて表現したらいいのかわからなくてお気持ち表明だなんでふざけた言い回しをしていますが、内容自体は至って真面目なものです。
過去の例で言えば、イベントやライブでの発言に対して自分が思ったことや自分が考えたことをひたすらに書き連ねたことがあります。それって感想じゃね?と言われればそうなんですが、自分の中ではやはり少し違うなと感覚的に思う部分があるので感想とは別にしました。

お礼というのは、いつもありがとう的なあれですね。
近況は私の近況。ほとんど送ったことはないですけれど、受験が終わった際に書いたことがあります。受験は大変だったけれど、あなたの活動や音楽に元気を貰っていました的なお礼と一緒に結果を報告するみたいな。まあそれも良い結果が出たから報告できるものなんですがね。

まあファンレターなんて言っちゃえば自己満足なんですよ。勝手に書いて勝手に送ってるだけ。
全部私がやりたくて勝手にやってることなんですね。


■自己満足の先にあるもの

ファンレターを書いて送るという行為は私にとって一種のエゴです。
私という一ファンの想いを半ば無理やり送り付けているような行為です。
その想いを受け取るかどうかは受け取り手次第ですし、ぶっちゃけ私としては受け取って貰えなくてもいいと思っています。どこか一方通行みたいに考えているのかもしれない。
内容読んで引かれても構わない、というか自分が受け取り手だったら自分の手紙読んで引くもん普通に。それくらい赤裸々に感情をたくさん綴っているという自覚はある。
それでも届いてくれればそれでいいと思うんですよ。その気持ちに嘘はない。

ただ、それでも嬉しいって思っちゃうなあって。
先日、とある舞台をきっかけに知った演者さんにお手紙を書いたんですね。舞台の感想はもちろん、その舞台に関して抱えていた負の感情だったり、その演者さんに対して思ったことだったり、本当に色々と書きました。
私としては、書きたいから書いただけなんですよほんとに。あまりにも自己満足。
その手紙に対して、全体あてではあるけれど受け取ったよという報告をその方がSNSでしてくれました。これは純粋に安心します。物理的に届いてくれたんだなと分かるので。
その報告に加えて、「幸せです」という言葉を付け加えてくれたんですね。
ただ書きたくて書いた自己満足の文章を、こうやって言っていただけるの、本当に嬉しいとかそういう話じゃない。いや、ほんとに勝手に送ってるだけだし読んでもらえるだけでも恐れ多いのレベル、もはや送ってしまってすいませんの領域。
こんな手紙ですいませんと思ってしまうくらいのものを喜んでもらえるの、さすがに心の栄養すぎたなあと。

だからといってこれからも私のスタンスが変わることはきっとなくて、一方的に伝えたいことを伝えるだけの手紙しか書けないと思います。
それでもやっぱり、この手紙を受け取る相手のことを考えて言葉選びをしたいなとは思います。悪意は無くても相手を傷つけてしまうことだってあるし、実際それを経験したこともあるし。
自己満足の先にあるものも自己満足だけれど、私はやっぱり手紙という文化、言葉という文化が好きなのでこれからも続けていきたいです。
想いを伝える方法をこれしか知らないから。ずっとこれでやってきたから。きっとこれからもこれでやっていくしかないのだから。