沼はどこにでも
私の「自分の香水」は、十年前にそう決めたものだ。香りをまとうことを忘れていた時も、時々お香を焚くなど、香りとまったく縁を切っていたわけではない。アトマイザー単位で販売している業者が存在するのを知ったこともあり、「自分の香水」を更新してもいいかも、という意欲が湧いた。
そういう気持ちに火が付いたきっかけは、トム・フォードのロストチェリーという香水を知ったことだったので、この香水の香りはぜひ知りたかった。まずはトム・フォードの中から四種選んで買ってみた。以下は選んだ香水と、公式のプロモーション文句である。
引用だけで千五百字! 長い!
ちなみにビターピーチとは、英語で「汗をかいた男性の苦いアスホール」という意味のスラングだそうなんですけどね……。
いつかつぶやきにも書いたように、トム・フォードの香水は最後に粉っぽい感じ、妙に甘い残り香が底に響いて、なんとなくこれではないという感じがした。この四つの中では「テュベルーズニュ」が一番好みではあったが、自分の香水と香りが似ているので、二本あったら、こちらではなく元の香水を選びそうだ。次点はビターピーチかな、と思ったのだけれど決めきれない。別の会社を試してみてからでもいいと思って選んだのがDiptyqueだった。トム・フォードの香水を少し受け付け難いと思ったのは、おそらく真っ当な香水らしさにあると思ったので、もう少し自然由来成分が多めのものがよいと思ったのだ。
Diptyqueの香水は三種類選んだ。
Diptyqueの香水の中で一番(?)有名なのはいちじくの香りである、フィロコシスらしいのだけれど、いちじくは私の家の近くに沢山あって、毎夏に青っぽいにおいを空中に漂わせている。あれを嗅ぐとああ夏だなと思うのだけれど、自分の身に纏うという想像がつかなくてやめてしまった。
この中では、ドソンがやはりよいと感じた。これもテュベルーズがメインの香水なのである。私の「自分の香水」も、テュベルーズと同じ系統の香りなのである。これまでの自分から逸脱しようと思ったのに、やはりその香りに立ち戻ったのであった。「自分の香水」のブランドの主宰は、愛してやまない花の香水が作りたかったのだけれど、その花に香りがほとんどないために、クチナシの香りを調合して、理想の香りを作り上げたということだ。そして、クチナシとテュベルーズの香りは似ているのだそう(購入してから、様々なサイトを見ていた時、クチナシ=テュベルーズであるとしていたものがあったが、今回改めて調べたら花自体は別物のようだ)。
しかし不思議だ。私は自然に咲いているクチナシの花の香りはどちらかというと苦手で、クチナシが咲いていると息を止めて通過することもあるほどなのに。香水になって、クチナシ単体でなくなったり、薄めになったりすると許容できるということなのだろうか。
そして、Diptyqueの中では、メンズライクなオーデサンスが似合う人だったら良かったなと思うものの、この三つの中で新しく買うならロンブルダンローがいいかなと思う。カシスの香りということだったけれど、全体的には青っぽいローズの香りがして、香りの持続度はともかく気分がいいので、セカンダリー香水にしてもいいなと思う。年末行くつもりだったのに行けなかった実店舗に近々行けるといいのだけど、どうかな。あー、でも今ドソンに小さいボトルの限定版があるようなのだよね。完全に同じ花じゃないなら買ってもいいような……。
私が最初に香水に触れたのは、母の持っていた、乾燥しきったシャネルNo.5だった。その後、同じく母の持っていたロードゥ・イッセイ(確か、香水のことなど右も左も分からない父が、誕生日祝いかなにかで贈ったものだったはずだ)の瓶の清廉さに惹かれ、母の目を盗んでこっそりつけた。
「自分の香水」に出会う前は、当時Spic & Span が取り扱っていた自然素材由来の香水シリーズを使っていた。そののち、その香水をつけているという所有欲が満たせて(憧れのブランドで)、かつあまり人に知られていない、入手しがたい香水で、しかも自然風の香りであるもの、という考えのもと選んだのが、今の香水だった。
そういう意味では、Diptyqueは香水好きな人には有名なメーカーではあるけれど、全体に個性的で、一言で言い表しにくい香りだから、私のセカンダリー香水にはお誂え向きであると言えるだろう。
香水は単体で使うものだという頭があるのだけれど、重ね付けをして複雑な味わいを楽しむというテクニックもある。上記で紹介したドソンなどは、オードトワレとオードパルファンで少し調合が異なるので、同じドソンのオードトワレとオードパルファンを重ね付けする、という高等(のように私には思える)テクニックもあるそうである。
それは、ブランドの提案した香りを付けているだけでは「自分の香り」にならないので、唯一無二の自分、あるいは毎日移ろいゆく自分を香りで表現したいという欲求なのかもしれない。他人の提案した香りを纏っているのに、それを自分の個性だと言うのは欺瞞だなと思う時があるので、気持ちはわかる。服も化粧品も、私達は一人では作れないのだから、香りについてのみ、強くそう思うのはあまり合理的ではないのだけれど、でもそう思う。
しかしこの沼は金額的な深さがひどそうなので、あまり近寄らないようにしたい。私のことだから、沼にはまりすぎると、ブランドの提案した香りではなく、自ら調合してこそオリジナルだと、謎のやる気を発揮してしまいそうだし。
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