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沼はどこにでも

 私の「自分の香水」は、十年前にそう決めたものだ。香りをまとうことを忘れていた時も、時々お香を焚くなど、香りとまったく縁を切っていたわけではない。アトマイザー単位で販売している業者が存在するのを知ったこともあり、「自分の香水」を更新してもいいかも、という意欲が湧いた。

 そういう気持ちに火が付いたきっかけは、トム・フォードのロストチェリーという香水を知ったことだったので、この香水の香りはぜひ知りたかった。まずはトム・フォードの中から四種選んで買ってみた。以下は選んだ香水と、公式のプロモーション文句である。

ロスト・チェリー
甘美で、誘惑的な、飽くことを知らない香り
「ロスト チェリーは、かつては禁じられていた世界への濃厚な旅路。お菓子のようにキラキラと楽しげな外面と、内側のおいしそうな果肉という、異なる二つのものへの誘惑を表現しています。」 - トム フォード
純粋な無邪気さと官能の極みが交わる場所への旅路をイメージして、官能的な果実と息をのむほど美しい花々を想像させ、魂を揺さぶるかのような香りを閉じ込めました。

(以下、出典は全て大丸・松坂屋通販サイトDEPACO)

ビターピーチ
熟しきって果汁がこぼれんばかりの果肉を思い起こさせる、挑発的なほどに甘い香り
「どこまでも甘く、危険なほどに官能的なビターピーチには、甘美な、肌にまとわりつくようなセンシュアリティがある。熟しきって濃厚な味わいの果物のように、それは生来エロティックな香りなんだ」- トム フォード
プライベート ブレンド ビター ピーチは、熟しきって果汁がこぼれんばかりの果肉を思い起こさせる、挑発的なほどに甘い香りです。官能的な魅力を振りまくビター ピーチは、馥郁(ふくいく)と熟しきって挑発的なほどに甘い、果汁滴る果肉を思わせる香りで、あなたをきっとやみつきにするでしょう。

テュベルーズ ニュ
「テュベルーズ ニュ は、華やかなフローラルとエロティックなスパイスが一つになり、夜に花開くテュベルーズの意外な二面性を思わせる香りだ。瑞々しいその花びらには、夜になると激しく官能的なオーラが漂う。可憐だが、誤解を招くほどの評判のある花なんだ」- トム フォード
テュベルーズ ニュは、夜に開花し、月の光に揺れながら華やかな官能性を振りまくテュベルーズとジャスミンの瑞々しい花びらを思わせる香りです。
比類のない悦びを奏でるラプソディに誘われて、しなやかなスエードとティムット ペッパーの香りが、神秘的な調べに禁じられた秘めた魅力を添えています。
ソフトで官能的な、包み込むようなムスクの香りがエロティックな余韻となり、香りの印象とその切なる思いを留めます。

ローズ ダマルフィ
「イタリアン ベルガモットで満たされたローズ ダマルフィは、親密で官能的な香りだ」―トム フォード
アマルフィの太陽に照らされた官能性を呼び起こす、ローズ ダマルフィ。
さらに、ピンク ペッパーと陽光を浴びたアーモンドのようなヘリオトロープが溶け合い、肌と肌が触れ合う温もりを思わせます。
また、トム フォードだけのために抽出された、優美な「ローズ オン ローズ」が加わることで、柔らかく官能的な、肌と肌が触れ合う温もりを思わせます。
トム フォード氏が彼のプライベート ローズ ガーデンへご招待。
3つのとびきり魅惑的な場所へと誘う(いざなう)、刺激的な香りの三部作を是非ご堪能ください。
これらの3つの香りは、トム フォード氏の自宅にあるローズ ガーデンに咲き誇る、この上なく優美で希少な薔薇からインスピレーションを得て生まれました。

https://depaco.daimaru-matsuzakaya.jp/shop/g/g0888066130486/

 引用だけで千五百字! 長い!
 ちなみにビターピーチとは、英語で「汗をかいた男性の苦いアスホール」という意味のスラングだそうなんですけどね……。

 いつかつぶやきにも書いたように、トム・フォードの香水は最後に粉っぽい感じ、妙に甘い残り香が底に響いて、なんとなくこれではないという感じがした。この四つの中では「テュベルーズニュ」が一番好みではあったが、自分の香水と香りが似ているので、二本あったら、こちらではなく元の香水を選びそうだ。次点はビターピーチかな、と思ったのだけれど決めきれない。別の会社を試してみてからでもいいと思って選んだのがDiptyqueだった。トム・フォードの香水を少し受け付け難いと思ったのは、おそらく真っ当な香水らしさにあると思ったので、もう少し自然由来成分が多めのものがよいと思ったのだ。

 Diptyqueの香水は三種類選んだ。

ド・ソン
ディプティックの創業者のひとりYves Coueslant(イヴ・クエロン)は、子供の頃、夏の日々をハロン湾からほど近いド ソンの海辺に父が建てさせた小塔で過ごしました。大きなハイフォン港の蒸し暑さから離れたド ソンの空気は、より爽やかでした。海風が、テュベルーズの香りを運んできました。それは、彼の母親がとても愛していたスパイシーな甘いうっとりするような香りでした。Do Son(ド ソン)はインドシナで過ごした子供時代の想い出の繊細さと、いつまでも心から離れない記憶を表現しています。

(以下、全て公式サイトより)

オーデサンス
感覚を惑わせるようなコンポジション。肌を優しくなでるような香りは、五感(嗅覚、味覚、触覚、視覚、聴覚)で感じることができます。まるで贅沢なデザートのように美食の喜びを思わせ、フレッシュなノートが目覚めを誘います。「オー デ サンス」のオリジナリティはその誕生にあります。ビターオレンジの枝も葉も果実も、すべてを集めて誕生した香りです。

ロンブルダンロー
空想の物語、穏やかに流れる川、柳の木の下の夏のお昼寝のお話です…。摘んだばかりのローズとカシスの実の香りが重なります。カシスの葉の植物的なグリーン、蕾が発する酸味のあるフルーティーなアクセント、ローズの力強さ。自然を捉えたスナップショットを感じてください。

https://www.diptyqueparis.com/ja_jp/p/l-ombre-dans-l-eau-eau-toilette-100ml.html?refSrc=2162&nosto=nosto-page-product2

 Diptyqueの香水の中で一番(?)有名なのはいちじくの香りである、フィロコシスらしいのだけれど、いちじくは私の家の近くに沢山あって、毎夏に青っぽいにおいを空中に漂わせている。あれを嗅ぐとああ夏だなと思うのだけれど、自分の身に纏うという想像がつかなくてやめてしまった。
 この中では、ドソンがやはりよいと感じた。これもテュベルーズがメインの香水なのである。私の「自分の香水」も、テュベルーズと同じ系統の香りなのである。これまでの自分から逸脱しようと思ったのに、やはりその香りに立ち戻ったのであった。「自分の香水」のブランドの主宰は、愛してやまない花の香水が作りたかったのだけれど、その花に香りがほとんどないために、クチナシの香りを調合して、理想の香りを作り上げたということだ。そして、クチナシとテュベルーズの香りは似ているのだそう(購入してから、様々なサイトを見ていた時、クチナシ=テュベルーズであるとしていたものがあったが、今回改めて調べたら花自体は別物のようだ)。
 しかし不思議だ。私は自然に咲いているクチナシの花の香りはどちらかというと苦手で、クチナシが咲いていると息を止めて通過することもあるほどなのに。香水になって、クチナシ単体でなくなったり、薄めになったりすると許容できるということなのだろうか。

 そして、Diptyqueの中では、メンズライクなオーデサンスが似合う人だったら良かったなと思うものの、この三つの中で新しく買うならロンブルダンローがいいかなと思う。カシスの香りということだったけれど、全体的には青っぽいローズの香りがして、香りの持続度はともかく気分がいいので、セカンダリー香水にしてもいいなと思う。年末行くつもりだったのに行けなかった実店舗に近々行けるといいのだけど、どうかな。あー、でも今ドソンに小さいボトルの限定版があるようなのだよね。完全に同じ花じゃないなら買ってもいいような……。

 
 私が最初に香水に触れたのは、母の持っていた、乾燥しきったシャネルNo.5だった。その後、同じく母の持っていたロードゥ・イッセイ(確か、香水のことなど右も左も分からない父が、誕生日祝いかなにかで贈ったものだったはずだ)の瓶の清廉さに惹かれ、母の目を盗んでこっそりつけた。
 「自分の香水」に出会う前は、当時Spic & Span が取り扱っていた自然素材由来の香水シリーズを使っていた。そののち、その香水をつけているという所有欲が満たせて(憧れのブランドで)、かつあまり人に知られていない、入手しがたい香水で、しかも自然風の香りであるもの、という考えのもと選んだのが、今の香水だった。
 そういう意味では、Diptyqueは香水好きな人には有名なメーカーではあるけれど、全体に個性的で、一言で言い表しにくい香りだから、私のセカンダリー香水にはお誂え向きであると言えるだろう。

 香水は単体で使うものだという頭があるのだけれど、重ね付けをして複雑な味わいを楽しむというテクニックもある。上記で紹介したドソンなどは、オードトワレとオードパルファンで少し調合が異なるので、同じドソンのオードトワレとオードパルファンを重ね付けする、という高等(のように私には思える)テクニックもあるそうである。
 それは、ブランドの提案した香りを付けているだけでは「自分の香り」にならないので、唯一無二の自分、あるいは毎日移ろいゆく自分を香りで表現したいという欲求なのかもしれない。他人の提案した香りを纏っているのに、それを自分の個性だと言うのは欺瞞だなと思う時があるので、気持ちはわかる。服も化粧品も、私達は一人では作れないのだから、香りについてのみ、強くそう思うのはあまり合理的ではないのだけれど、でもそう思う。
 しかしこの沼は金額的な深さがひどそうなので、あまり近寄らないようにしたい。私のことだから、沼にはまりすぎると、ブランドの提案した香りではなく、自ら調合してこそオリジナルだと、謎のやる気を発揮してしまいそうだし。

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