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頭も首も体もひとつしかないけれど

 「今年は自己肯定感維持のために、手芸を定期的にするぞ!」と脳内で宣言していた。しかし、小四の頃から編み物を始め、これまで色々なものを作ってきて、そのいくつかはまだクローゼットにある。セーターなど全部自分で編むわけでもなく当然購入もしている。沢山作ったところで体はひとつなわけです。子供を数に入れても三つ。手芸のための手芸は自己肯定感と預金残高を減らすだけだから、うむむと思っていたところ、我が家において頭数が増えることが一つあった。


 人形である。

 そうだ、リカちゃんのお洋服を作ればいいんだ! 布帛のワンピースキットが億劫でまだ手付かずなままであるのを見ないことにして、これを買った。

 小さい頃、お人形遊びに興じる私に祖母が服を編んでくれたことがあった。少し渋い色で、細編みでぎっちり編まれたそれを見て、「私にはこんなもの一生編めない」と思ったものだけれど、それを今まさにやっているという感動があって、嬉しくなって色々作っている。

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 見よ! 一番の力作! 本よりもスカートのフリルを豪華にしてみたのがこだわりポイントである。

 手芸をする人ならわかると思うが、糸や布にはロットというものがあり、ロットが変わると同じ色番でも色が変わってしまうので、少し多めに材料を買うのが常識である。その上、レシピはひと玉きっちり使い切るものなんてないから、常に資材が余りがちだ。

 そのような、人間用に買ったのに余ってしまったもの、また勢いで買ったはいいものの、使われずに残っているものが、人形用の毛糸としてたまたまぴったりの太さのものばかりだった。死蔵在庫を活用できている上に、子供にも喜ばれる。編み物スキルもあがる。ものを作ることそのものによる自己肯定感の獲得、いいことずくめである。新たに毛糸を買っているので結局在庫は増えているけれど。

 これまで、ずっと棒針が好きで棒針編みばかりしていた。会社を辞めた時に、長年やっている編み物を無冠のままにしておかないで、何かしら能力を証明するものが欲しいと思って、編み物講師の資格を取ったのだけれど、その時に初めてしっかりかぎ針をやったというくらい、苦手感があった。今はもっぱらかぎ針編みばかりしているので、非常に上達したし、速く編めるようになった。

 そして、小さくてちまちましているから時間がかかるとばかり思っていた人形の服だったけれど、案外速く編み終えることができる。人間に比べて編む面積が格段に少ないから、当然ではあるのだけれど、なんだか得した気分だ。私はいつも、なんでも、馬車馬のようにさくさく、沢山こなしていきたいので、その希望にかなっている。


 うちに人形は六体ぐらいいるし、なんなら姪二人の人形のためにも作ってあげたっていい。ああ、体が一つだけじゃないってなんて素敵なの(編み物的に)。


 そして、私が人形の服を編んでいるのを見て、上の娘が編み物をしたいと言い始めた。そのことは率直に言って嬉しかった。私のやることを受け継いでくれたみたいで嬉しい、ということよりは、彼女が自分からはっきり何かをやりたいと言い出すのはわりと珍しいことだからだ。私が彼女に見せられる世界はあんまり広いものではないけれど、私が提供する世界を少し覗いてみることは、私よりまだまだ狭い彼女の世界を広げることにつながるだろう。

 でもやっぱり、私がやっていることをやりたいと言ってくれたのが嬉しいのかもしれない。受け継いでくれることの喜びを否定した方がいい親っぽいと思うから、素直な気持ちをないことにしたいような気もする。興味を持ってくれたからには、なるべく楽しく学べるようにしたいけれど、うまくいくかなあ。私に編み物を教えてくれた祖母は、すごく偉かったんだなあ、と思うのである。祖母はもう恍惚の人になってしまって、編み物のスキルも、編み物を私に教えたことも、なかったことになっているけれど。

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