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掌編小説 ロング・ロープ

 私は晴れの日が嫌いだった。
 雨の日はいい。自分の席で本を読んでいても教科書に落書きしていても、狭い教室で手持ち無沙汰にしているクラスメイトの風景になれるから。でも雲一つない青空の日など、何が楽しいのか、皆校庭で体を動かしに行くので、教室に一人残ると目立ってしまうのだ。  
 周りにお節介な女子なんかいると厄介だ。「一緒にやろうよ」って声をかけてくるから。そういうとき、私は上手く断ることができない。本当は余計なことしないでと言いたいくらいなのに、顔や態度に出てしまわないか心配する余り、つい「誘ってくれてありがとう。参加したいのは山々だけど、今読んでいる本がいいところだから」の前半に気持ちを込めすぎてしまうのだ。小学生の時、似たようなことがきっかけで「お高くとまってる」と軽いイジメに遭ったので、トラブルに巻き込まれるのを極度におそれる気持ちが働いてしまう。  
 彼女の後に続いて階段を下りながら、しまったと思った。今、クラスで流行っているのはあれだった。

「あの、そういえば私、長縄跳び苦手で・・・。皆に迷惑だしやっぱり教室戻るよ」

 私はやや声を震わせながら彼女に言った。しかし振り返った彼女は笑顔で言った。

「大丈夫だよー。簡単簡単、君、運動できるんだから余裕でしょ。なんだったらコツ教えるから!」

 私はあいまいに頷くしかない。ごめん、でもそれは「持っている人」の発想だよ。

 クラスメイトが陣取っていたのは校庭の真ん中だった。鉄棒や雲梯などの遊具が据えられている脇の方なら、どさくさに紛れて輪から抜け出ることもできるが、これでは絶望的だ。クラスメイトの他にも、長縄を回す二人を中心とした輪がいくつかできていて、この遊びが全校的なブームなのが知れた。

「連れてきたよー」

 私を引っ張ってきた子は校庭にいる他の生徒たちにそう声をかけると、そのまま群れの中に溶け込んでしまった。コツを教えてくれるというのはフリだったのか。

 私は仕方なくさっき跳んだばかりの女子の後ろに立った。彼女は振り向きざま何やら私に話しかけてくる。社会の先生の顔に毛の生えたほくろがあって、見る度つい笑ってしまうだの、購買のパンはコロッケパンが人気だけど自分はハムマヨロールが好きだの。こちらは余裕ありげに適当に話を合わせているけど、徐々に前列の方に歩みが送られるのに内心は戦々恐々だ。この子はなぜこんな雑談を今していられるのだろう。縄の行方をずっと目で追っていなくてもいいんだろうか。
 そんなことを考えている間に、彼女は前の生徒と紐がつながっていたかのようにふわっと跳んで、魔法のように縄の中から出て行った。そう、今度は自分の番だ。

 パシッ

「あっ」

 縄を回していた吹奏楽部か何かの男子生徒が控えめに声をあげた。私の足に軽い痛みが走り、さっきまでずっと空を回転し続けていた縄は、私の足下にうなだれて横たわっていた。 
 だから嫌だったんだ。その後三、四巡試してみたものの、輪の中に入るタイミングが早すぎたり遅すぎたりで、立て続けに失敗してしまった。最後の一回でかろうじて跳びきることができたので、係の用事を思い出したなどと言って校舎の方に戻ってきてしまった。
 土間で靴を履き替えていると、数学の鈴木先生が私の方をニヤニヤ顔で見ていた。

「イケメンで秀才の神田君にも意外な弱点があるんだなー」

「生徒をからかって楽しいですか」

「そうだな、君に集中していた人気が俺の方に来るからな」

 鈴木先生は上下ジャージ姿だが、自分の体型とキャラを知り尽くした、オシャレ系なジャージなのは見る人が見ればわかる。髪は天然パーマのようだがさりげなくツーブロックにしているし、やりすぎない程度にワックスがついている。教え方もそこそこ上手くて、ワイルドな雰囲気の彼のファンである女生徒は実際多い。

「まあ、別にいいですけど」

「ドライだな。まあ跳べないんだからそうやって強がるしかないよな」

 ヒヒヒと教師らしからぬ笑い声をあげる。

「でもな、禍福はあざなえる縄の如しって言うだろ。縄と向き合って不幸を全身で味わうことで、次に幸福がやってくるという考え方もあるぞ」

「いきなりなんですか。鈴木先生は数学やってるのに運命論者なんですか」

「ちがわい。あ、そういやこないだのテスト、おまえ、あの間違え方はないぞ。本読むのもいいが、数学もやっとけよー」

 そう言うと先生はそそくさと教員室の方に消えていった。何か図星でもついたのだろうか。
 数学ねえ。今日は数学の授業がないので教科書も問題集も家に置いてある。第一私は校庭から帰ってきたばかりで手ぶらだ。予鈴までまだ時間があるし、まっすぐ教室に戻るのはなんだかしゃくな気がしたので、図書室に行ってみることにした。
 晴れの日の図書室は閑散としていた。とはいえ、そろそろ受験に向けてエンジンをかけ始める時期だからか、学習スペースには三年生であることを示す紺色の名札の生徒が数人、問題集を傍らに積んで机に向かっている。
 私はぶらぶらと本棚の列を行き来して適当に何冊か本を抜き、貸出カウンターに向かった。担当していた図書委員の生徒の名札を見て唖然とした。

「長縄…さん?」

 思わず声が出てしまった。彼女は貸出カードに判子を押す作業を止めて俯いていた顔をあげた。

「はい、そうですけど…なにか?」

 一言でいうならすごい美人だった。校内にこんなに綺麗な人がいるなんて初めて知った。それなのに彼女は髪をそっけなく一つ結びにしていて、セーラー服も買ったそのままで着ている。ほとんどの女子生徒が校則の範囲内ギリギリを狙ったアレンジをしているというのに。私は入学してから頻繁に図書室に来ていたはずなのに、このいかにも長く図書委員をやってきた雰囲気の彼女に、なぜいままで気が付かなかったのだろうか。

「すいません。珍しい苗字なので、つい」

 彼女は私の顔をちらっと見て「そうですか。では、二週間後に返却してくださいね」とそっけなく言った。
 私は昼休みが終わって授業が始まってからもしばらくぼうっとしていた。早い話が一目惚れだった。ただ顔が好みなだっただけではない。本を持つ手つきが丁寧だったことや、再び顔を伏せた時の睫毛の影の濃さ、場所がら当然なのだけれど、ボリュームをおさえたささやくような声、それなのに私がいとわしいと思っているあの名前を戴いていることなどが頭の中でふくれあがって、いてもたってもいられなくなった。変だと思われてもいい。私は放課後にもう一度図書室に行くことにした。

 しかし放課後は担当が変わるのか、長縄さんは図書室にはいなかった。考えてみれば当然の話だった。図書委員は各学年各クラスから選出されるのだ。私は自分が完全にのぼせあがっていることを恥ずかしく思った。
 翌日から、毎日昼休みと放課後の二回、私は図書室に通いつめた。結果、彼女は月曜日・水曜日の昼休みと金曜日の放課後を担当しているとわかった。私と同学年の二年生だったこともわかった。同学年なら顔くらい見覚えがあっても良さそうなものだが、彼女のクラスだけ階が違うので、地味にしている外見とあわせ、存在に気付かなかったようだった。
 我ながら薄気味悪いと思うし、図書室に通う目的が向こうにバレてしまわないか心配だったが、彼女の担当の日には図書室に行かずには、いや、会いにいかずにはいられなかった。姉と妹がいるせいで、他の男子生徒よりは気軽に女子に話しかけることができる私でも、彼女には必要最低限の会話しかできなかった。彼女が本棚の整理を終えてカウンターに戻って来るのを待ってから、借りる本を持って行ったりもした。本当にキモい。キモすぎる。でも、彼女のクラスには気軽に話しにいけるような知り合いはいなかったし、少しでも彼女の顔が見られる図書館でのひとときは苦しいけれど幸せだった。
 そんな日々が三か月ほど続いたある日、私はいつものように、実際には読まないであろう本を幾冊か持って彼女の座っているカウンターに向かった。

「本、お好きなんですか」

 はじめて声をかけられた。

「ああ、はい」

 私の馬鹿。こんな風にたずねられることを何度も妄想して、どう答えればいいか練習してきたはずなのに。

「あの、ここ見て下さい」

 そういって長縄さんは裏表紙に貼ってある貸出票を見せてくれた。そこには「長縄麻子」の文字が記されていた。書いてあるのは彼女の名前だけで、他にはまだ誰も借りたことがないらしい。少し恥ずかしそうにしている彼女はたまらなく可愛かった。

「あの!読んだら感想聞いてもらっていいですか」

 言ってしまってから、これはデートのお誘いではないかと気付いた。いや、彼女とデートできるならこんなに嬉しいことはないのだが、もっと用意周到に準備するつもりだったのだ。勢いで言ってしまったので、彼女に拒否されたらどうしようという考えが急激に心の中を満たし始めた。もう、耳も頬も燃えそうだ。彼女はそれを察したのか、私の目をじっと見て、

「はい。待ってますね」と言ってくれたのだった。

 それからは毎日気持ちが乱高下して大変だった。本に集中していないと思われるのが嫌で図書室通いをやめたので、彼女に会いたい気持ちがあふれかえりそうだった。自分の感情を滅多に顔に出さない方だったのに、さすがに友人に様子が変だと言われてしまった。彼女に会うためには早く読まなければならないけれど、じっくり読んで理解しないと上手に感想が言えないのもジレンマだった。何を言うかで付き合えるかどうかが変わってくるから、中途半端なことを言って、「浅いわね」と思われたくなかった。彼女しか読んでいないようなマイナーな本だけあって、それは普通の中学生には難解すぎると思われる海外文学だった。絡まり合った文をほどいていくような作業は、そう、まるで長縄を結っているようだった。

 私は返却期限のギリギリにやっと読み終えた。あとは本を返して、いつ会ってくれるか聞くだけだったのだけれど、声をかけた時よりも今の方が、意識してしまっている分、どういう顔をして行ったらいいかわからなかった。彼女のためだけにあれだけ図書室に入り浸っていたのに、この心境の変化は我ながらおかしかった。私が図書室に行けたのは、返却期限当日の金曜日の閉室間際だった。

 私が図書室に入った時、カウンターには別の生徒が座っており、周囲を見渡しても探している人の影はなかった。まさか今日に限って学校を休んでいたとかじゃないよな。頭が何かにきつく縛られてしびれたようになりながら、本棚の列に歩みを進めると、奥の方で人の動く気配があった。彼女はそこで返却された本を元の居場所に収める作業をしていた。ブラインド越しに入る西日に照らされて普段より茶色く光る瞳は、私の姿を認めて軽いおどろきにさざめき、その後ほんの色づく程度、喜色が浮かんだように見えた。

「やっと読み終わりました。それで感想を」

「もうすぐ終わるので、待っててもらっていいですか」

 休みの日に待ち合わせて、モールのフードコートかどこかで会えたらいいなと思っていたので、帰り道でちょっと話すなんて、と一瞬失望しかかった。けれど通用門の脇で待っている間、部活が終わった生徒たちが騒ぎながら何組か通り過ぎていくのを眺めていると、この時間帯にわざわざ二人で歩くって結構大ごとなのでは、ということに気付くと心臓がどきどきするのを抑えられなくなった。彼女はああ見えて大胆なのか? それとも無頓着なだけなのか? そして気付いた。この三か月、彼女のまとう空気とか外見からにじみ出る何か以外で、私が彼女について知っていることは何もないのだいうことに。

「お待たせしました」

 ほどなくして現れた彼女は、急いで来たのか少し息があがっていた。いつも涼しい表情をしてあの場所にいるイメージが強いので、こんな顔もするんだ、と思うとそっちの方を向けなくなった。

 その後、二人でが何を話したかはほとんど覚えていない。最初に本の話くらいはしたのではと思うけれど、後から思いだそうとしても頭の中から出てこないのだから、きっと緊張していて、ろくな感想を言えなかったのだと思う。それでも二人の分かれ道近くにある公園の前で、お互い「じゃあ」が言えなくて、でもベンチに座ろうとも言えなくて、立ったまま長いこと話をしたのは覚えているし、最後の方に彼女が言ったことだけは家に戻っても脳裏にはりついていた。

「私、自分の苗字好きじゃないの。だから君が最初に話かけてくれたとき、『またからかわれるのかな』って思った。こんな名前なのに、私縄跳び苦手だから、できないと分かるとバカにされることが多くて。長縄跳びにも誘われたくなくて、それで毎年図書委員」

 長縄を忌み嫌っている私たちが、この後名字を同じくするほど長い付き合いになるとは、この頃はまだ思えなかった。それに気付けなかったぐらい、私はまだ子供だったのだ。

〈了〉

先週に続き、これも大分昔に書いた話です。これこそ、noteにアップした記憶があるのに、タイトル検索しても出てこなかった。Twitterアカウントを一度消した時に、創作記事も少し整理したのかもしれない。
ちなみに、私も長縄跳びを蛇蝎のごとく嫌っています。

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