自責と他責の話

 Twitterで連ツイにしたら予想以上に長くなったので、noteに投下。そのため、いつもより表現が雑になっています。

 私は自分では全部自分のせいだって考えて、どんどん自分で打てる手を減らしていって自滅するタイプだと思っているのだけど、例えば夫は私の事をそうは思ってなくて、こっち(夫)に責任をなすりつけてくるって言いがちなのである。「他責傾向あるよね」と寝耳に水のことを言われるので、ひどくびっくりしてしまう。

 どっちの言い分が正しいのか分からない。

 基本的には人間関係は相互的であるし、一人ひとり見ている風景は違うと思うので、「お前の中ではそうなんだろうな、お前の中ではな」という態度が正しくて、両者の共通認識の「正しい」なんて存在しないし作れないんだろうけれど、それに納得できなくて、その原因についていつも考え込んでしまう。

 話を単純化するために夫を相手だと想定して話を進めるが、私の自責ゲージが一杯になって他責が表出した時しか目に見えないから、夫には他責に映るのかもしれない。あるいは私の性質とは関係なく、夫の他責傾向が強ければ、私が少し「いやあなたにも原因があるでしょ」と言うだけで、彼は非常に不本意に思って「あんたは他責だ、自分は悪くない」って言うだろうとも思う。確かに、夫は何か家事で不手際があったときも、謝ると死ぬのかというくらい、絶対に謝らない。

 私の他責傾向が強いか自責傾向が強いかをフォロワーさんに訊いたら「紅茶さんはそんなことないよ」と優しく言ってくれる人が少なくないだろうと思う。だけれど、私がツイッターで炎上芸人をやっているならともかく、フォロワーさんは私と利害関係がないからそう言ってくれるに過ぎないだろうと思うし、ツイッターで見せている私の顔も私の一面でしかない。私の表情は相対する人によって変わるのだろうから、客観的に見て私がどういう人間かを測ることに意味などないんだろうけれど、ひどくもどかしい。要は感じのいい人で居たいし、それに確信を持っていたいらしい。

 「こういうこと悩むくらいだからあなたは他責傾向じゃないよ」って言ってくれる人もいるだろう。でも、私は他責だと言われるのが嫌だから、それを回避するためにこういうことを必死に考えているのかもしれないとも思うのである。ということは、自分では他責よりも自責の方がマシだと考えているようだ。器用に生きていくならば、「ここまでは私の責任、だけどここからはあなたの責任でしょ」と、例え相手に嫌がられても言い切る勇気が必要なのだろうと思う。そして私はそれが出来ていないか非常に苦手なのだろう。他責か自責かの結論はやっぱり出ていないけれど、私が不器用であるのは証明されたわけだ。

 私がこういう考えから逃れられないのは、親との関係もあると思う。断言するが、親は100%他責で、100%向こうが悪い時(例えば勘違いした時)でも絶対に自分の非を認めない。私はそんな親にいつも「あんたが悪い」と言われ続けてきたので、自分の事を自責的だと捉えているのだと思う。でも、当然それに反発する自分もいて、それは正当な反論なのか、それとも私が他責的だからなのかは分からない。自分は親のようではないと思いつつも、そういうコミュニケーション方法を学ばされてしまっているから、もしかして私もそういうやり方でしか他者と関われていないのではないかと思うと怖くてたまらない。出家したくなる。

 私が夫を始めとする大人とそういうコミュニケーションの齟齬を起こしてトラブルになったり私が傷付いたりしても、それは私の責任なので仕方ないのだけれど(いや、本当はよくないし今からでも改善したいのだけれど)、こういうことを考える時、いつも子供に私の毒を回してしまわないかを非常に危惧する。育児にまつわる毒なんて、もし私が子供の意向を100%汲み(言いなりになるってことじゃないよ)、のびのび育てたとしても、子供が性善説に傾きすぎて社会に出た時病むとか、別の種の毒を植え付けることになると思うものの。

 それともそれも言い訳なのかな。

 という訳で、人間として生きていくのに向いていない。

【追記】

他の人のnoteを読んでいて、「何でも自分のせいにするという自責思考は、なんでも自分でコントロールできると思うことの裏返しでもある」という考え方を得た。

 確かに、私はなんでも自分でやらないといけないと思ってきたし、コントロールできない状態にストレスを感じやすいかもしれない。人間関係以外のところではこれまでそれなりに上手くやってきたので、ある程度自分でコントロールできるという自信があるのも、自責思考を強めるのに一役買っているかもしれない。

 物事がうまくいかないとき、私自身は自分が事態をコントロールできない不甲斐なさや苛立ちを自分にぶつけているつもりでも、その事態に他人が関わっているとき、その人は自分が責められていると感じてしまうかもしれない。強すぎる自責思考は、巡りめぐってコントロールできない他者を責めてしまうことにつながるのかもしれない。

 この考え方にはまだ馴染みがないので、もう少し考えてみたいと思う。

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